国連決議について

ニュースを振り返ってみていると、ロシアのウクライナ侵攻をめぐって、何種類かの国連決議が話題に上っていました。

1つは、2月下旬に話題になっていた、国連の安全保障理事会での決議です。ロシアのウクライナからの即時撤退を求める採決が行われ、否決されました。

2つ目は、3月初旬におこなわれた国連総会の緊急特別会合での、ロシアによるウクライナ侵攻を非難する決議です。

こちらは、賛成多数で採択されました。

3つ目は、3月下旬に国連の安全保障理事会にロシアが提出した人道決議の採決で、こちらは否決されています。

4つ目は、同じく3月下旬に国連総会に欧米主導で提出された人道決議案の採決で、こちらは賛成多数で採択されています。

このように整理すると、安全保障理事会の採択はすべて否決でおあり、国連総会での決議は可決されていることがわかります。

これを、なぜこのような結論になったのかを国連憲章との関係で確認すると、

前回の記事で触れた国連憲章27条に基づき、常任理事国に拒否権があるため、常任理事国同士で意見対立が生じる今回のウクライナ侵攻については、常任理事国の拒否権により決議が採決に至らなかったということになります。

他方で、国連総会の決議には、そのような拒否権の規定は定められていません。

国連憲章18条をみると

「1 総会の各構成国は、1個の投票権を有する。

2 重要問題に関する総会の決定は、出席し且つ投票する構成国の3分の2の多数によって行われる。重要問題には、国際の平和及び安全の維持に関する勧告、安全保障理事会の非常任理事国の選挙、経済社会理事会の理事国の選挙、第86条1cによる信託統治理事会の理事国の選挙、新加盟国の国際連合への加盟の承認、加盟国としての権利及び特権の停止、加盟国の除名、信託統治制度の運用に関する問題並びに予算問題が含まれる。

3その他の問題に関する決定は、3分の2の多数によって決定されるべき問題の新たな部類の決定を含めて、出席し且つ投票する構成国の過半数によって行われる。」

と規定されていますので、こちらは、構成国1国1票の多数決で決議が採択される仕組みとなっています。

なお、安全保障理事会の決議と、国連総会の決議とでは、前者には法的拘束力があるが、後者には法的拘束力がないといわれています。

安全保障理事会の決議に法的拘束力があるといわれる理由は、一般的に国連憲章25条に

「国際連合加盟国は、安全保障理事会の決定をこの憲章に従って受諾し且つ履行することに同意する。」と規定されていることによると説明されています。

ただし、日本国内で法律が法的拘束力をもつ場合には、その法律に違反がなされれば、刑事罰をもって強制をすることができますし、民事分野でも民事執行などにより、強制的に目的を実現する方法が用意されています。

他方で、国連については、そういった執行機関が制度的に整備されているわけではありません。

「平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し、並びに、国際の平和及び安全を維持し又は回復するため」に必要がある措置については、国連憲章7章39条以下に定められています。

安全保障理事会は、

①国連憲章39条に規定されている「勧告」すること、

②国連憲章40条により「必要又は望ましいと認める暫定措置に従うように関係当事者に要請」すること、

③国連憲章41条により「兵力の使用を伴わないいかなる措置を使用すべきかを決定することができ、且つ、この措置を適用するように国際連合加盟国に要請する」ことができます。

基本的に、最初は勧告又は要請を中心に進めていくわけです。

なお、要請といっても国連憲章41条で要請できる措置には「経済関係及び鉄道、航海、航空、郵便、電信、無線通信その他の運輸通信の手段の全部又は一部の中断並びに外交関係の断絶を含むことができる。」とされていますので、かなり踏み込んだ対応を要請できることがわかります。

そして、国連憲章42条では「安全保障理事会は、第41条に定める措置では不充分であろうと認め、又は不充分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍又は陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。」と規定されており、

39条から41条の勧告又は要請によって問題を解決できないときには、国連憲章に基づいて安全保障理事会の決議に基づく軍事行動が可能なようになっています。

このようにみると、勧告等のソフトな手続きから団体的に実行力のある強制的措置に進んでいく制度設計は、日本国内の行政法規の設計とよく似た仕組みになっています。

なお、今回のロシアのウクライナ侵攻については、大阪弁護士会でも、国連憲章や日本国憲法に言及しながら「ロシア連邦のウクライナに対する軍事侵攻に反対する会長談話」というものが出されていますので、興味のある方はご参照ください。

 

 

最近のニュースと国連憲章について

近頃、テレビをつけると、連日、ロシアとウクライナの間の戦争に関するニュースが流れています。

あらためて確認しなおすと、ロシア軍がウクライナに実際に侵攻を開始したのが2月24日のことだったようですから、かれこと、2か月ほど戦争状態が続いていることになります。

ニュースを見ていると、基本的にロシアを非難する報道が多く、また、ロシアの軍事行動を抑制できない国連の機能不全などについても語られています。

本来なら「国連総会」「安全保障理事会」「常任理事国」といったキーワードは、中学・高校の公民の授業で学んでいるはずなのですが、日本で生活している一般人の自分にとって、国連の話は、宇宙ステーションの話と同じくらい遠い世界の話に感じられて、あまり国際関係に関する制度や法律を真面目に勉強をしたことがありませんので、ニュースで国連決議が採択できないなどと報道されているのを見ても、具体的にどういう制度の話をしていて、何ができないから機能不全だといわれているのかが理解できませんでした。

そこで、弁護士として、日本国内の法律を扱う仕事が中心であるとはいえ、国際関係に係る法律やルールを知っておくのも重要かと思い、これを機会に国連の仕組みについて、政治的な観点ではなく、法律的な観点から少し勉強してみることにしました。

このブログを読んでくださっている方も、高校の授業の復習と思って読んでいただけると、ウクライナのニュースなどがより分かりやすくなるのではないかと思います。

ニュースでみる、国連の決議の話などを理解するうえで、一番わかりやすい方法は、国連憲章というものを読んでみることだと思います。

国連憲章とは、国際連合に係る基本的な事項を定めた条約であり、加盟国の権利や義務を規定するとともに、国連の主要機関や手続きを定めているとされています。

簡単にいってしまえば、日本国の国の在り方を決めるのが日本国憲法であるとすると、国際連合に加盟する国々の間で作られる国際社会の在り方を決める根本ルールが国連憲章であるということになります。

日本国憲法九十八条では、「①この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。② 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」とされていますので、基本的に、憲法>国際条約>個別の法律ルールという優劣関係があると考えられています。

国際連合ができたのは第2次世界大戦が終わった1945年のことですが、日本が国際連合に加盟したのは1956年のことですので、1956年以降は、国連憲章は、あまり意識されることはありませんでしたが、日本人にも適用される規範となっていたことになります。

この国連憲章では、様々なことが定められていますが、日本国憲法に国会や内閣に関するルールが定められているように、国連憲章7条では、「国際連合の主要機関として、総会、安全保障理事会、経済社会理事会、信託統治理事会、国際司法裁判所及び事務局を設ける。」として、国連の基本的な機関の設計が定められています。

このうち、今回のような戦争があった際に一番関係してくるのが「安全保障理事会」です。

安全保障理事会は、国連憲章の第5章23条以下に、いろいろなルールが定められています。こういった「機関」について細かな条項の文言を全部しっかり読むのはなかなか、骨が折れる仕事です。

まず、どんな機関かという点を理解するために、国連憲章23条1項をみると「安全保障理事会は、15の国際連合加盟国で構成する。中華民国、フランス、ソヴィエト社会主義共和国連邦、グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国及びアメリカ合衆国は、安全保障理事会の常任理事国となる。総会は、第一に国際の平和及び安全の維持とこの機構のその他の目的とに対する国際連合加盟国の貢献に、更に衡平な地理的分配に特に妥当な考慮を払って、安全保障理事会の非常任理事国となる他の10の国際連合加盟国を選挙する。」と書かれています。

ここでポイントを整理すると、①安全保障理事会は15か国で構成されていること、②その15か国のうち中国、フランス、ソ連(現ロシア)

、イギリス、アメリカの5か国は常に理事会のメンバーになること、③15か国のうち、残りの10か国は総会の選挙で決めること、がポイントとなっています。

 

そして、このように構成される安全保障理事会が、どんな役割を果たすのかというと、国連憲章24条1項では「国際連合の迅速且つ有効な行動を確保するために、国際連合加盟国は、国際の平和及び安全の維持に関する主要な責任を安全保障理事会に負わせるものとし、且つ、安全保障理事会がこの責任に基く義務を果すに当って加盟国に代って行動することに同意する。」と記載されており、国際平和及び安全維持に関することを安全保障理事会が担うとされています。

では、国際平和及び安全維持に関する仕事をするのかというと、これは、国連憲章の第6章以下に記載されており、ここでその全部を記載することは困難ですが、様々な、要請や調査、注意喚起などをすることが規定されています。

そして、そのような安全保障理事会の仕事をする上で、どのように安全保障理事会が意思決定をするかというと、国連憲章の27条で、「①安全保障理事会の各理事国は、1個の投票権を有する。②手続事項に関する安全保障理事会の決定は、9理事国の賛成投票によって行われる。③その他のすべての事項に関する安全保障理事会の決定は、常任理事国の同意投票を含む9理事国の賛成投票によって行われる。但し、第6章及び第52条3に基く決定については、紛争当事国は、投票を棄権しなければならない。」とされています。

ここで、ポイントをあげると、まずは①1国1票の投票制になっていること、②手続き事項に関する決定と、その他の事項に関する決定とで意思決定の条件が異なっていること、③手続き事項については、15か国中9か国の賛成投票で決定がされること、④その他の事項について、「常任理事国の同意投票を含む」9か国の賛成投票が必要とされていることです。

この常任理事国の同意投票を含むと記載されているため、常任理事国が同意しないと、手続き事項以外については、安全保障理事会は決定ができないこととなります。

常任理事国が「拒否権」をもっているということがニュースでいわれていますが、具体的にその「拒否権」の根拠をみると、国連憲章のこの部分が拒否権の根拠ということができます。

国連憲章の話は、かなり話がながくなるので、引き続き、本ブログで整理してご紹介していきたいと思います。

大阪法律事務所の立地

弁護士法人心では、お客様が事務所にお越しになりやすいように、

出店地域の基幹となる駅の近くに事務所を設けております。

大阪では、JR大阪駅、御堂筋線梅田駅、谷町線東梅田駅、東西線北新地駅、四ツ橋線西梅田駅などからアクセスのよい、大阪駅前第3ビルの30Fに事務所がございます。

JR大阪駅や御堂筋線梅田駅からお越しのお客様は、まずは、駅の一番南側の出口からでていただき、地下通路をとおってディアモールを経由して、地下通路の案内板に従って大阪駅前第3ビルに来ていただく方法がおすすめです。

ただし、梅田の地下街は慣れていない方にとって結構迷いやすい場所ですので、地理感がない場合には、大阪駅から阪神のデパートの方にわたっていただくとわかりやすいかもしれません。阪神のデパートの南が大阪駅前第4ビルであり、その次が、大阪駅前第3ビルになります。

谷町線東梅田駅からお越しのお客様は、谷町線東梅田駅の一番南側の改札を出ると、目の前が大阪駅前第4ビルの入り口ですので、そこから第4ビルの地下1階をとおって、大阪駅前第3ビルまでお越しいただくのが一番わかりやすいのではないかと思います。

東西線北新地駅は駅を出てすぐ目の前が、大阪駅前第2ビルであり、四ツ橋線西梅田駅も南側の改札をでると目の前が、大阪駅前第1ビルです。

大阪駅前第1ビル、大阪駅前第2ビル、大阪駅前第3ビル、大阪駅前第4ビルは、地下でつながっていますので、まっすぐ大阪駅前第3ビルまでお越しいただくことができます。

なお、大阪駅前第3ビルには、18階まで用のエレベーターと、18階以上用のエレベーターの二種類がございます。

弁護士法人心大阪法律事務所の所在階は30階と高層階の方であるため、お乗りいただくエレベーターをお間違いになりませんようお気を付けください。

 

 

 

個人再生をするときに影響のでる住宅ローンの借り方

多くの人にとって、人生で一番大きな買い物は自宅だと思います。

現金一括で自宅を購入する方はまれであり、通常は銀行から住宅ローンを借りて、長い年月をかけて返済をしていきます。

その途中で、いろんな事情で、住宅ローンの返済が苦しくなってしまうこともあります。

住宅ローンが払えなくなれば、当然、自宅を手放すことになるのですが、

例えば、住宅ローンだけはぎりぎり払えるけど、その他の借金は約束通り返済するのは無理だという状況の債務者にとって、効果的な債務整理の方法が個人再生という方法です。

個人再生という方法で債務整理をすると、上手くいけば住宅ローン以外の借金を大幅に減額したうえで、住宅ローンだけは約束通り支払いつづけて自宅を手元に残すことができます。

このような制度のことを、個人再生の住宅資金特別条項といいます。

もっとも、この住宅資金特別条項は、法律上使える場合が制限されています。

法律の要求する条件の一つに、自宅の土地建物に、住宅ローン債務者の住宅ローン以外の後順位抵当権がついていないことという条件があります。

例えば、家を買って住宅ローンの抵当権を家に付けただけなら問題ないのですが、例えば、そのあと事業資金などで銀行から大きな借り入れをする必要があり、そちらの借金についても自宅に抵当権を付けたというような場合、住宅資金特別条項の利用は認められないため、自宅を手放さざるを得なくなります。

また、例えば夫婦で協力して住宅ローンを借りる場合にも、借り方によって住宅資金特別条項の利用できるかどうかの結論が変わる可能性があります。

例えば、夫婦がお互いに連帯債務者となって3000万円の住宅ローンを組んで、一本の債権として、住宅ローンを返済していく場合には、仮に夫婦のどちらかだけが個人再生をしなければいけないとなっても、夫婦どちらからみても、自分の借金について自宅に抵当権がついていることになりますので、住宅資金特別条項の利用が認められます。

他方で、例えば、3000万円の住宅ローンを夫が1500万円、妻が1500万円に分けてそれぞれ組んだ場合、夫一人で個人再生をしようとしたとき、自宅には、夫の住宅ローン以外の別のローンの抵当権がついているので、形式的には住宅資金特別条項の利用条件を満たさないのではないかという問題が生じてしまいます。

実際の裁判所の運用では、こういう場合でも、夫婦そろって個人再生を申し立てるようにした場合には、住宅資金特別条項の利用を認めて自宅を手放さなくてもよいような対応をされることが多いですが、借り方の選択一つで大きな違いが生じる可能性もある部分ですので、これから住宅ローンの借り入れをお考えの方は、ご参考にしていただければと思います。

個人再生についてご相談ご希望の方は、お気軽に弁護士法人心へご相談ください。

 

74期司法修習について

12月というと、例年ですと新人の弁護士が事務所や弁護士会に入ってくる季節です。

毎年、5月に司法試験が実施され、9月に合否が発表され、その後約1年の司法修習を経て、

最後に翌年の11月に2回試験という最終試験を受けて、12月に2回試験の合否を確認して弁護士としての仕事が始まるというのが、一般的なスケジュールです。

しかし、今年は、昨年の司法試験や司法修習のスケジュールが、新型コロナウイルスの影響で延期になっていため、例年とは異なります。

昨年度の司法試験合格者の修習期74期ですが、74期の司法修習は、4月から始まり4月に終わるスケジュールになっているようです。

最近、新型コロナは様々なところに爪痕を残したなと感じた出来事の一つです。

年金について思うこと

テレビなどをみていると、社会の高齢化との関係で、年金制度について、

「今の若い世代の人は、支払った年金よりも貰える年金額のほうが少なくなる。」

という説明を目にすることがあります。

確かに、現行の年金制度を前提に、年齢階層別の人口分布をみると、

老齢年金の支払額と受給額のバランスは、そういう結論になるのかもしれません。

ただし、弁護士として仕事をしていると、このような年金制度の一側面の問題について説明を聞いて、

「だったら、国民年金なんて払うだけ損じゃないか。払うのをやめよう。」という結論に至るのは、待っていただいた方がいいと思います。

もちろん、年金制度の趣旨である世代間扶養という理念が大事だからということもありますが、

それ以上に、年金を払わないことは、若い現役世代の方自身にとっても、リスクがあるからです。

「年金」という言葉を聞くと、どうしても「年をとってからもらうもの。」というイメージが強いですが、

年金と一口に言っても、この「老齢」を理由に支給される年金以外にも、「障害年金」や「遺族年金」といった年金もあることを忘れてはいけません。

特に、どんな人でも、不慮の事故や病気で障害を抱えて生活が苦しくなる恐れがあるので、もしもの時の備えとして、この「障害」に関する年金の重要性を、忘れてはいけません。

障害年金は、老齢年金のように、年をとらないともらえない年金ではなく、一定の基準を満たす重い障害を負ったときに支給される年金です。

国民年金や厚生年金に加入して保険料を納めていれば、重い障害を負って働けなくなった場合でも、障害年金を受給することで、年間約80万~90万円程度の公的な年金を受け取ることができる可能性があります。

厚生年金加入者の場合には、さらに年金額が高い可能性もありますし、また、障害を負った方に扶養家族がいる場合には、さらに年金額が加算できる可能性もあります。

この点で、障害年金は、もしもの時のセーフティーネットとして、軽視できない価値があります。

ただし、障害年金は、一定期間以上の保険料の「未納期間」があると、受給が認められなくなってしまいます。

年金制度の根本には、「義務を果たさないと権利を喪う」という国の厳しい態度があるということです。

そのため、「どうせ支払った分よりも少ない金額しかもらえないのだから。」という理由で、安易に年金保険料の納付を怠ってしまうと、不慮の事故で重い障害を負ったときなどに、本来、受けられたはずだった障害年金の保障を受けることが出来なくなってしまう恐れがあるのです。

ただし、収入が不安定な状況にいるときは、国民年金の保険料を払うことが経済的に、どうしても難しいという場合もあると思います。

最近では、コロナの流行で営業自粛を迫られた自営業の方や、職を失った方などもたくさんいるはずですから、それこそ、「年金なんか払っている場合か!」と思うような、大変な経済状況になっている方も少なくないと思います。

ただし、そのような「お金がなくて年金なんか払っていられない。」というときでも、かならず、保険料の免除や納付猶予の申請を役所で行うようにしていただければと思います。

詳しくは、インターネットなどで「国民年金保険料の免除制度・納付猶予制度」というキーワードで検索していただければ、厚生労働省のホームページなどで詳しい案内をみることができますが、簡単にいうと、お金がなくて年金保険料を支払えない時でも、きちんと申請をして手続きをしておけば「年金払えなくても仕方ないよね。」と国の方でも認めてくれる制度が用意されているということです。

そして、この年金保険料の「免除」や「納付猶予」が認められていれば、実際に年金保険料を納めていなかったとしても、「未納期間」とは評価されないことになります。

そのため、こういった手続きさえしっかりしておけば、お金がなくて年金保険料を納めることが出来ない場合でも、障害年金の保障を受ける権利を喪わずに済むことになります。

「免除」や「納付猶予」の申請をするだけであれば、タダです。

タダでできる手続きを怠って、障害年金の保障を受ける権利を喪うのはもったいない話です。

今は年金保険料を払う余裕がないというときでも、役所にいって「免除」や「納付猶予」の申請をするよう気を付けていただければと思います。

成人年齢の引き下げについて

民法の改正に伴って、契約に関するルールや、法定利息の計算などにはすでに改正の効果が生じています。

そして、来年(2022年)には、成人年齢も20歳から18歳に引き下げられることとなります。

成人年齢が18歳になるからといって、すべてが18歳から可能になるわけではなく、

飲酒喫煙など医学的観点から健康のために規制されている制限は引き続き20歳からとなります。

その他にも、例えば養子をとることは20歳からでないとできないなど、18歳と20歳と、いつから制限がなくなるのかは、個別に確認しておかないといけません。

分かりやすく全部20歳なら20歳、18歳なら18歳と一律に決めておいてくれればわかりやすいように思いますが、

考えてみれば、これまでも、バイクの免許と女子の婚姻は16歳から、普通自動車と男子の婚姻は18歳から、中型以上の免許と選挙権と親の同意のない婚姻は20歳からというように、一律ではない年齢制限の中で暮らしてきたのですから、すべての年齢制限を一つの年齢を区切りにしようとする方が無理があるのかもしれません。

ただ、今回の成人年齢の引き下げにともなって、弁護士として注意をしてほしいと思うことは、未成年を理由とした契約の取り消しが、18歳以降できなくなるということです。

18歳というと、地方から大学に進学するケースなどでは、はじめて一人暮らしを始めるタイミングと重なります。

育ち方にもよるのかもしれませんが、普通に親元で生活して高校を卒業したばかりの18歳の方は、あまり法律や社会のことを知らないように思います。

私自身も、三重県から東京にでて、18歳から一人暮らしを始めましたが、当時は、民法もクーリングオフという言葉も、消費者被害の話なども、ほとんど知識がない状況でした。

そして、そんな純真無垢な状況で東京の街を歩いていると、ラッセンの絵を勧められたり、神様の教えを学ぶよう勧められたり、マルチ商法の勧誘を受けたりと、様々な契約の勧誘を受けたものです。

ラッセンの絵も、宗教も、本当にその価値とコストを理解して契約するのであれば何の問題もありませんが、正直、18歳の自分に、その判断を十分にできるだけの能力があったかといわれると、なかったように思います。

私の場合は、当時、哲学を志す偏屈な学生でしたので、性格的要因で、それらの勧誘をことごとく断りましたが、今振り返ってみると、消費者問題にかかわるような状況に陥るきっかけは、たくさんあったなと思います。

民法改正による成人年齢引き下げまでは、20未満であれば未成年者の契約を理由にした取り消しが主張できましたが、改正後はできなくなりますので、十分にお気を付けください。

 

 

 

 

Eラーニング

新型コロナの流行以降、いわゆるソーシャルディスタンスというものの徹底が、各所ではかられております。

コンビニでの買い物や、商業施設での買い物などでもそうですし、タクシーなどでも、換気やアクリル板が徹底されるようになりました。

弁護士の仕事でも、面談や裁判所の手続きがどんどんとリモート化されていることは以前も紹介させていただきましたが、

弁護士の研修もリモートで行われることが多くなりました。

弁護士以外の方は、あまりご存じではないかもしれませんが、弁護士会では、各種の法律や弁護士業務に関する研修を開催しています。

弁護士倫理等の参加が義務付けられる研修もあれば、任意参加の研修もあります。

これらの研修も、以前は、大きな会議室や講堂を利用して行っていましたが、どんどんとEラーニングに置き換わっています。

Eラーニングになってみて、よかったのと思うのが、席の近い遠いなどでパワーポイントが見えにくかったり、会場の暖房が効きすぎていたり、反対に寒かったりというような、環境に左右されず、自分にとって最適と思える環境で研修を受けることができるところです。

日常業務で、ついつい任意参加の研修からは足が遠のきそうになりますが、Eラーニングを活用して、少しでも学べるところは学んでいきたいと思います。

 

新型コロナのワクチン接種

緊急事態宣言も先月末で解除となり、新型コロナの流行も、ひとまず今のところは落ち着きをみせていますが、

6波のリスクもとりざたされております。

弁護士の仕事は、不特定多数のお客様と日々接する仕事ですので、副反応の話などをきくと、若干の恐怖心はあるものの、

やはりワクチンは必要かと思い、ワクチン接種に行ってまいりました。

2回に分けての接種となるので、なかなか、スケジュールの調整がむつかしくありましたが、

先日、ようやく2度目の接種を終えました。

副反応については、やはり、厚生労働省のホームページに紹介されているような副反応はやはり出るのだなという印象で、注射を打ってから半日ぐらいは、特にこれといった副反応はなかったのですが、ちょうど12時間経ったあたりから、寒気がしはじめて、体温計ではかってみると38度台後半から39度台前半を行ったり来たりする状況となりました。

想定の範囲内ではあるものの、2度目の接種後は発熱で、1日自宅で寝て過ごすこととなりました。

熱の高さだけをみると、びっくりするような高い熱だったのですが、本当に風邪を引いて38度台の熱が出たときに比べると、そこまでしんどい感じではなく、ただ体温が高く体の節々が痛いという状態が24時間ほどつづき、そのあとは、嘘のように軽快しました。

令和3年司法試験の結果

大学受験は、多くが毎年1月~3月の間に実施されて結果が発表されます。

その季節をふまえて、電子メールがなかった時代に、合格通知を電報でおくるときは「桜咲く」と送ったとききます。

送信できる文字数に限りがあるからこそうまれた、なんとも、典雅な隠語です。

司法試験はこれとは季節がことなり、毎年5月頃に試験が行われ、9月に合否の発表がなされます。

今年も約1400人が合格したようです。

 

白黒のテレビを見て思い出したこと

新型コロナウィルスの流行以来、休日は家でテレビでも見て過ごそうかということが増えました。

ここ何週間かは、テレビでオリンピックの放映がありましたので、見飽きるということがありませんでした。

最近の、テレビの映像は、驚くほど進歩していて、360度カメラやドローンなどをつかって、選手の息遣いや、現場の臨場感を伝えてくれます。

翻って考えてみると、昭和の東京オリンピックの頃には、まだ、普通の家では白黒テレビが一般的だったと聴きますので、隔世の感があります。

テレビを見ていると、オリンピックの記録映像などで、ときどき、白黒の記録映像が流れていることがありますが、私が、子どものときには、すでにどこの家庭でもカラーテレビがありましたので、白黒のテレビというのは、むしろ新鮮に感じられます。

ところで、弁護士として仕事をしていると、ある事実や証拠から、どうやってその他の事実を立証するかという難問に直面することがよくあります。

「Aという証拠があるから、Bという事実があったはずだ。」、あるいは、「Aという事実からは、Bという事実があったと考えるのが自然である。」という、推論の過程を裁判でも良く使います。

テレビで流れる白黒の映像を見ていて、こういった「ある事実や証拠から、他の事実を推測することの難しさ」に、私が人生で初めて気が付いたときのことを、ふと思い出しました。

私が、3歳か4歳の頃だったと思いますが、生まれてからずっとカラーテレビしか見たことのなかった自分が、偶然、白黒の旧い映像がテレビで放送されているのを見ました。

幼い自分には、いつもは色のついているテレビが急に白黒になったのが不思議で、これはなぜなのか、父親に尋ねると、父親かはら「これは、昔に撮影されたテレビだから白黒なのだ。」と答えが返ってきました。

その答えをきいて、私は驚いたのですが、そのとき、私が思っていたのが、自分が生まれる前の昔の世界には、そもそも「色」というものが存在していなかったのかということでした。そして、だとしたら、いったいいつからこの世界には「色」が与えられたのかということを疑問に思っていました。

大人になった今の自分からみれば、なんともおとぎ話のような誤解なのですが、子どもの頃の自分の頭の中にあった推論の過程をきちんと言葉にして整理すると以下のようになるはずです。

「テレビに映る映像は、実際に自分が目で見ている世界と同じような風景である。そして、大人は、みんなテレビのニュースで流れる映像をみて、あんなことがあったこんなことがあったと話をしている。だとしたら、テレビの映像は、実際に目で見ることのできる世界を正確に記録しているのだろう。そして、昔のテレビに映されている映像が、白黒の映像なのだったら、この映像が映された当時の世界は、実際に白黒だったのだろう。」

これはこれで、一つの推論の過程としては、理屈にはかなっているように思います。

もちろん、昭和の東京オリンピックが開催される遥か昔から、世界には「色」が存在していたはずであり、子どもの頃の私の理解は、明らかに誤解なのですが、この推論にきちんとした反証をしようと思うと、それなりに、いろいろ考えなければなりません。

例えば、技術的な観点からは、テレビを撮影する際の録画器材の発展の歴史について説明し、色付きの映像を撮影できるカメラと、白黒映像しか撮影できないカメラの二種類があるという事実を挙げる必要があります。

あるいは、テレビが発明される前の時代の文献にも、「色」に関する言葉は存在していて、人々が「色」を認識していたと考えられるというような、反論も可能かもしれません。

もっと原理的な説明をしようと思えば、人間が色を認識するのに必要な、光の波長や眼球と脳の構造などについて説明し、それらが、昔から変わっていないということを説明するのも、有効かもしれません。

いずれにしても、このように、同じ事実や証拠を目の前にしても、前提や背景にある知識がことなっていれば、推論の向かう方向が180度異なってしまうことは、しばしば起こる現象です。

特に、裁判などの専門性が求められる世界では、こういうことが良く起こります。

例えば、法律や裁判例の動向について詳しくない方からすると、一見すると「自分にとって有利だ」と思える証拠が、

実際には、裁判例の動向や裁判官の経験則を踏まえると、むしろ、不利な証拠として評価されてしまうということもあります。

東京オリンピックをみていて、自分も、証拠や事実の評価を見誤らないように、新しい裁判例の勉強など、疎かにしてはいけないなと、気持ちを引き締め治すきっかけになりました。

 

現代法と分国法

民法改正への対応はここ数年、弁護士の業界で非常に大きなテーマとなっており、私も含めて、多くの弁護士が、関連する書籍を読んだり、研修に参加するなどして、新たな民法と旧民法の変更点について学んでいます。

このような、近代日本民法は、明治時代にボアソナードを代表とする欧米の法学者を招いて、欧米の法体系を日本的にアレンジして輸入したものです。ボアソナードがフランス人であったことからもわかるように、日本民法は、フランス民法の強い影響を受けて成立したといえます。

フランス民法はローマ法の影響を受けていますので、あえて法律の歴史を親子関係のように喩えて考えていくと、今の日本民法の遠いご先祖を辿っていくと、古代ローマの民法に至ることになります。

他方で、日本史の授業で学んだように、奈良時代の律令や御成敗式目など江戸時代以前の日本にも、さまざまな法律がありました。

先日、近代的な法体系が西欧から輸入される前の日本では、どのような法律がつかわれていたのだろうと、ふと興味がわいてきて、歴史学者の清水克行という先生の「戦国大名と分国法(岩波新書)」という本を買って読んでみました。

この本で紹介されている分国法の内容を見てみると、やはり、「現代とは、ずいぶん違う社会のルールがあったのだな。」と強く感じます。

例えば、結城家の分国法について紹介されている一節に、田畑などの土地の境界争いについて、争われている土地があった場合には争っている当事者に半分ずつ土地を折半するか、それが駄目なら結城家がその土地を没収するというような法律があったと紹介されています。

これなどは、現代の境界確定訴訟などと比べると、非常に粗雑に思えるルールです。この本のなかでは、当時どうしてこういうルールが採用されたのかという、時代背景や当時の人の法意識について言及がされていて、興味深いです。

また、本の中の一節で紹介されていた中世の法格言の一つとして「獄前の死人、訴えなくんば検断なし」というものがありましたが、これは、警察の目の前に死体があっても、被害を訴える人がいなければ警察は捜査をしませんよといっているものです。刑事ドラマなどでもよくあるように、現代社会では、身元の分からない死体があれば、警察が検死や司法解剖をして、事件性の有無を調査していきます。

したがって、中世のこのような法格言は、現代の感覚とは、かなり異なったものです。

ただし、現代の刑法にも「親告罪」といって、被害者から告訴がなければ刑事裁判にはかけられないという犯罪の類型もありますので、人の死の持つ重みが時代によって違っただけで、法律の仕組みとしては、案外似ているところがあるのかもしれません。。

この筆者の本は、他にも何冊か読んだことがあるのですが、現代人には理解し難く感じる過去の歴史に関する話を、ユーモアのある文章で、現代の身近な例などと関連付けながら分かりやすく説明していて、非常に読みやすく面白い本です。皆様も、もし法律や歴史に興味があれば、書店で手に取ってみてください。

 

 

 

電動キックボードについて

キックボードというと、スケートボードの前方にハンドルがついた乗り物で、子供たちが片足で地面をけって推進力をだしながら滑って遊んでいるのをよく見かけます。

ところが、最近、街中で電動のキックボードというものをよく見かけるようになりました。

昔ながらのキックボードのように、片足で地面をける必要はなく、両足をのせて、セグウェイのように自動で進んでいきます。

しかも、自転車ほどではないにせよ、スピードも結構でるようです。

しかし、便利そうだなと思う反面、これで事故は起きないかなと、物事の悪い方、悲観的な方ばかり考えてしまうのが、弁護士という仕事の性です。

実際に、インターネットで「電動キックボード 事故」等のキーワードで調べてみると、残念ながら事故も起きているようです。

また、調べていて気付かされたのは、電動キックボードは、道路交通法上は電動機付自転車に該当し、無免許で運転すると処罰される可能性があるということです。

いわれてみれば、確かに電動のモーターによって車輪が自転する二輪車なので、原動機付自転車に違いはないのですが、見た目のイメージでどうしても、子供がおもちゃとして遊んでいるキックボードのイメージが強かったために、盲点を突かれたような思いでした。

何事も、見た目の印象で先入観を持って判断するのは危険です。

私個人は、電動キックボードに乗ったことも購入したこともないのですが、おそらくは、購入する際にお店で、免許の確認や使用方法についてキチンと案内はされるのでしょう。

ただ、友人宅に遊びに行って電動キックボードがあったので、貸してもらったというような場合、自覚のないうちに無免許運転の交通事故を起こしてしまう恐れもありますので、気を付けなければならないなと思いました。

親族の呼称について

弁護士として相続などの事件に携わっていると、たくさんの親族関係を家系図を書きながら整理しなければならないことが、よくあります。

手控え程度の非公式のメモであれば「~さんの、おばさんが、~さん。」「~の不動産は、~さんの、ひいおじいちゃんの名義」等のメモで十分なのですが、これをお客様や相手方、裁判所に見せる公式の文書に書き直そうとすると、口語体の親族呼称を、きちんとした漢字表記の文語的な呼称に修正しないといけません。

たとえば、「ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん」は、「曾祖父、曾祖母」などとしますし、「一番上のお兄ちゃん」なども「長兄」などと書き換えたりします。

たしかに、裁判所に提出する文章に「一番上のお兄ちゃんは・・・」と書いてあると、意味は問題なく通じるのですが、なんとなく締まらない印象になってしまいます。

ただ、このように単に口語を文語に言い換えるだけなら、まだ簡単なのですが、日本語の親族呼称には、一言で「おとうさん」「おじさん」などといっていても、漢字に直す場合には、親族関係に従って区別が生じる場合があります。

たとえば、「おとうさん、おかあさん」といっても、血のつながりのある父母であれば「実父、実母」、配偶者の父母であれば「義父、義母」等の書き分けがありますし、配偶者の父母については「岳父、丈母」など古風な表現も存在します。

また、とりわけ紛らわしいのが「おじさん、おばさん」の関係で、自分の父または母よりも年上の場合(父または母の兄姉)には「伯父、伯母」、年下の場合(父または母の弟妹)の場合には「叔父、叔母」を使うという区別があります。

なお、「昭和20年生まれのおとうさんの妹さん(昭和24年生まれ)の夫(昭和14年生まれ)」という場合には、日常会話では「おじさん」と呼べばよいのですが、漢字に直す場合には「伯」か「叔」か悩ましく思います。

調べてみると、この場合には、あくまでも父親の兄弟姉妹関係の上下を基準に、妹の夫は、たとえ父親より実際の年齢が高くても「叔父」を使うそうです。

このような、表記のルールはすごく難解だと感じるのですが、日本の親族呼称の漢字表記は、これでもまだ単純なようで、漢字の源流である中国ではさらに細かな区別があるようです。

たとえば、父親のお兄さんは「伯伯」で、弟は「叔叔」です。

このあたりは、日本の漢字表記と同じ区別なのですが、母親の兄弟については「舅舅」という新たな言葉がでてきます。

また、父方のおばさんは「姑姑」、母方のおばさんは「姨妈」と、ここでも父方か母方かで呼び方が異なるそうです。

しかも、父親の兄弟姉妹の配偶者の呼称についても、それぞれ区別があり、

父親の兄(伯伯)の配偶者であれば「大妈」、

父親の弟(叔叔)の配偶者であれば「婶母」、

母親の兄弟(舅舅)の配偶者であれば「舅母」、というように区別するそうです。

日本であれば、口語で話すときは「おじさん」「おばさん」の二つだけで済みますが、

上記の親族呼称について中国語では、単なる漢字表記だけでなく、それぞれの親族呼称の発音・音声も異なるようなので、日常会話レベルの口語でも、これらの区別が存在していることになります。

中国の人は、本当にこれだけの細かな呼称を、混乱せずに使いこなせているのか、今度機会があれば、中国の人に聞いてみたいように思いますが、この複雑な親族表記のルールを見ていると、「伯」と「叔」の使い分けが面倒だなどと泣き言は言っていられないなという気持ちになります。

時代の変化を感じること

弁護士の仕事をしていると、家事事件や破産事件などの関係で、個人の財産状況を把握しなければならないことがよくあります。

そのような、財産状況を把握しようとしたときに思うことが、昔に比べると確認しにくい財産が増えたのではないかなということです。

私の子供の頃を思い出すと、両親の金融資産といえば、財布に入った現金と銀行預金ぐらいのものでした。

当時も、証券会社とやり取りをして株などを持っている人はいたのだと思いますが、インターネットも普及する前の時代でしたので、

個人が気楽に証券会社で口座を開いて株の売買の指図をしたり、デイトレーダーになったりというようなことは難しい時代でした。

しかし、今では、インターネットの普及で、年齢の若い方でも、普通に、株やFX、仮想通過などの口座を開設して取引をしていたりします。

インターネット証券で株などの取り引きの仕組みを理解しないと、そもそも、どうやってオンライン証券上の財産額を把握するか困ってしまいます。

また、交通系のICカードや電子決済の普及で、現金や預金以外の形で、お金を保持することも容易にできるようになりました。

交通系のICカードが普及し始めたころは、駅で切符を買ったり、駅員に切符を見せたりせずに済むようになって、未来の世界にきたような気分になりましたが、今では、当たり前のように交通系ICカードを使って電車に乗ったりコンビニで買い物したりしています。

交通系ICカードだけでも、携帯電話のなかにも、電子決済のアプリが入っていて、そのアプリを利用して電子マネーで決済をしたり、キャリア決済で電話代と一緒に、その他の支払をしていたりもします。

昔は、商品券といえば、デパートの商品券か、ビール券、図書券などが一般的で、実店舗にいって商品と交換していましたが、いまでは、インターネット上のサービスを利用するためのギフト券が普及していて、しかも、そのギフト券も、実際に「物」としてのギフト券に一度も触れることなく、例えば、携帯電話の電子決済で、インターネット上でギフト券を購入して、電子メールで友人にギフト券を贈ったりということが可能になっています。

時代の変化は、小さな変化の積み重ねなので、その変化の中に身を置いていると、新しい技術も当たり前のように受け止めてしまいますが、自分の子供の頃を思い出すと、江戸から明治への文明開化以上の、大きな変化なのではないかと感じます。

特に、自分自身がまだ利用していない、新たなサービスに出会うと、財産状況の把握に難儀しますので、努めて新しい財産に関するサービスについては、時代の流れに取り残されないように、自分自身も体験するようにしていきたいと思います。

 

 

 

Googlemapの便利さと面白さについて

弁護士の仕事をしていると、遠隔地の道路状況や不動産を実際に見てみたいと思うことが多々あります。

例えば、交通事故の事案などですと、事故の現場の道路状況などを見たいと思います。

また、不動産が関係するような案件では、その物件がどんな不動産なのかを見てみたいと思います。

刑事事件などでも、事件の現場が例えば最寄り駅や繁華街からどのくらい離れた場所なのか、近隣に人通りがどのくらいあるのかなど、事件に関係する場所の地理感覚を持ちたいと思います。

そういう時は、実際に現地に足を運ぶのが最善です。

ただし、その場所が遠隔地であった場合には、実際に現地に行くことは容易ではありません。

そういうとき、Googlemapは非常に助けになってくれます。

おそらく、弁護士になる前と後で、Googlemapを開く回数や時間は、何十倍にもなったように思います。

また、Googlemapでは移動経路を検索することもできますので、交通費の計算などにも活用できます。

地図で位置関係を把握し、衛星写真で実際の周辺環境を鳥瞰し、不動産の外観等が気になるときには3Dモードに切り替えれば真上からだけでなく斜めからの鳥瞰図もある程度みることができます。

そして、ストリートビューに切り替えて、まるで現地を歩いているかのように周辺環境を見ることもできます。

弁護士の立場からすると「よくこんな痒いところに手が届くような、すごいサービスが無料で提供されているな。」と、ありがたくも思い、また感心もします。

このように、さんざんGooglemapのお世話になってきた私ですが、先日、初めて気づいた機能があります。

Googlemapを利用しているとき、より広範囲の地図を表示したいときには、画面右下の「-」ボタンを押してどんどん表示範囲を拡大することができるのですが、勢いよく連打していると、画面表示が地球の枠を飛び越えて、宇宙から地球をみている光景が表示されます。

しかも、衛星写真モードでみると、かなり綺麗な地球の写真が表示されます。

宇宙には地球以外の星も描かれていて、角度を切り替えるとアングルによっては太陽まで映ります。

そして、太陽と反対側の地球はちゃんと陰影をつけて表示されます。

しかも、その陰影の中が単に真っ暗になるのではなく、アメリカや日本のように、夜でも電気を大量消費をしている国は、街の電気で明るく表示されています。

衛生写真をベースに利用しているからできることなのか、仕組みはよくわかりませんが、「なんと芸の細かいことだ。」と驚かされました。

まるで宇宙飛行士になって、宇宙から地球を眺めている気分を味わえて、なかなか面白いです。

地図を見たいと思ってGooglemapを開く人にとって、このような宇宙から地球を眺める映像は、本来不要なものであると思われます。

道に迷って地図を求める人に、「地球儀」や「世界地図」を差し出すというのは、極めて古典的なボケです。

だからこそ、こういう実用的な利用目的との関係で本質的でない不必要な部分にまで、手を抜かずに丁寧な機能を付けているところにGoogleの凄みを感じ、まったく脱帽する思いを抱きます。

過料?

新型コロナウィルスの蔓延防止のため、昨今、特措法の改正がニュースなどで取り沙汰されています。

入院指示に従わない個人等に対して、「過料」という形で制裁を加える形になる見込みだと聴きます。

言うこときいたら補助金・給付金というアメを与え、言うことを聞かなければ過料によるムチを与えるという、

アメとムチによる統制は、非常に古典的で伝統的な統制方法であるといえます。

感染予防も個人の自由も、ともに重要な価値ですから、改正には賛否両論が出てきて当然なのだと思います。

このブログでは、今回の改正の是非を論じることはいたしません。

ただ、賛成するにしても反対にするにしても、そもそもその対象がなんであるかを知っていなければなりません。

この「過料」というのは、そもそも何なのでしょうか?「罰金」とは何が違うのでしょうか?あるいは、「過料」をかされたひとは、犯罪者となるのでしょうか?

こういった、「過料」に関する基本的な話をご紹介したいと思います。

「過料」という言葉を、辞典などで調べてみると、いろんな説明が書いてありますが、大きなポイントとして挙げられるのが、「刑罰ではない。」という点です。

よく似た制度として、「罰金」というものがあり、これは「刑罰」の一種だと紹介されています。

両方とも、ルールに違反した人に対して、制裁としてお金を払いなさいという制度である点では同じです。

この「刑罰」にあたるのかどうか?という区別は、法律になじみのない方には、あまりピンとこないのではないかと思います。

まず、これを理解する前提として、法律には、いろんなジャンル分けがあるのだということを知っておく必要があります。

ちょうど、TSUTAYAにいけば、洋画コーナーと、邦画コーナーと、韓流コーナーが分けられているように、法律にも、グループがあるのです。

そして、代表的なグループ分けが、民事法(民法や会社法など)・刑事法(刑法など)・公法(憲法や各種の行政法規)という三種類の分類です。

例えば、「交通事故で人をケガさせたら賠償金を払わないといけませんよ。」というルールは、一般の民間人同士のお金のやり取りに関わる話であり、民法にその根拠があります。つまり、民事法の領域だということになります。

これに対して、「交通事故で人を死なせたり、怪我をさせた人は罰せられる。」」というのは、刑法の過失運転致死傷罪などに関わる話であり、刑事法の話になります。そもそも、「刑法とは何か?」という議論自体が、法学部の授業で大きなテーマになるぐらい難しい問題なので、ここで、あまり詳細に論じることはできませんが、法律の専門家の方以外に、なんとなくイメージをつかんでもらうという意味では、「刑事法というのは、悪いことして誰かに実際に迷惑をかけた時に、どのよう処罰されるのか」に関する話なのだというぐらいに、理解していただくのがいいのではないかと思います。

このように、刑事罰の対象となるルール違反は、人の命や健康、財産などを危険にさらす行為が中心です。

これに対して、ルールを破っても、誰かがすごく危険な思いをするわけではないけど、でも社会のみんなが守った方が良いルールというのもあります。

例えば、引越ししたら住民票はちゃんと新しい住所で届け出てくださいねというようなルールがそれにあたります。

別に、住民票の届出を怠っていたからといって、誰かの命が危険にさらされるわけではありませんが、みんなで住民票を届出することで、

住民サービスが円滑に行われ、社会全体の利益となります。

住民票については、住民基本台帳法に届出義務が定められており、こういったものが公法上のルールの一つです。

そして、「罰金」と「過料」の区別について話を戻しますと、「罰金」というのは、刑事法の領域でルール違反をした場合の制裁です。他方で、「過料」というのは、公法や民事法の領域で、ルール違反があった場合の制裁であるという点で、両者の区別がなされます。

例えば、住民票の届出についても、これを怠っていた場合、「過料」の制裁がなされる可能性があります。

今回の新型コロナウィルスに関する法改正でも、あくまでも、感染予防という社会の秩序を維持するという目的のために加えらえる制裁なので「過料」が適切だという判断があったのだと思われます。

なお、一般的に「犯罪者」という言葉は、刑法等の刑事法に違反したものを指すことが多いので、公法上のルールに違反して「過料」の制裁をうけただけで、犯罪者と言われることはないと考えられます。また、いわゆる「前科」というものも、刑事法の領域の話しですので、例えば特措法に違反して過料の制裁をうけたからといって、前科がつくわけではないといえます。

この点で、民事法・刑事法・公法というグループ分けを理解したうえで、「過料」の制裁が持つインパクトを理解することが重要です。

ちなみに、罰則を設ける必要性との関係で、入院先からの脱走事例などがニュースで紹介されていたのを見かけました。

この点については、もちろん「過料」という形の抑止力も理解できるのですが、「そもそも「過料」で済むのか?」という問題も注意が必要です。

例えば、自分自身が明らかに新型コロナウィルスに感染していることがわかっていて、あえて、第三者に濃厚に接触して、その人を新型コロナウィルスに感染させたとすると、公法上のルール違反の次元ではなく、傷害罪として刑事罰が科される可能性があります。

この場合には、前科も残ってしまうことになります。

 

 

 

 

テレビ電話の活用について

新型コロナウィルスの蔓延以来、人と人との直接の接触を減らそうという機運が高まっています。

もっとも、弁護士の場合、債務整理などの分野では直接面談義務という話があり、

原則として、人と人とが直接対面であって相談に乗ることが求められています。

お医者さんの世界では、医師法20条の解釈を巡って、オンライン上での診療をどこまで許容するのかについて、活発に議論や提言がなされ、

メディアなどでも、そういった議論が取り上げられるのを目にするのですが、

あまり、弁護士の直接面談義務に関しては、そういった議論がテレビなどで取り上げられているのを目にした記憶がないです。

私、個人としては、債務整理を必要とする方は、自分自身の財産や収支、時には借入れの状況も把握できていないことが多々ありますので、

顔を合わせて相談に乗ることもせずに、破産だ再生だという方針を決めるのは避けたほうが安全だという感覚を持っていますが、

新型コロナウィルスの蔓延というような特殊な状況下で、原則をどこまで維持するべきなのかなど、悩ましく思うところでもあります。

受任の際の直接面談とは、少し別の話になりますが、コロナの蔓延以来、裁判所などではテレビ電話を利用したweb会議の活用が広く進んでいるように思います。

直接面談の趣旨が没却されないように、工夫を凝らしながら、テレビ電話等を利用して感染リスクを最低限にして、相談ができるようになると、

もう少し安心して働けるなという感想を持ちます。

 

今年1年を振り返ると、常にコロナの影響がありました

今年もいよいよ仕事納めです。

今年1年を振り返ると、何事においても、常に新型コロナの影響を受けた1年でした。

新型コロナが拡大する前は、お客様と応対する際には、マスクを着けたままというのは、むしろ失礼だというのが、

接客の常識だった気がします。

ところが、今では、コンビニでも、どんな店でも、店員は常にマスク着用で、透明のアクリル板やビニールごしに応対するのが当たり前になりました。

私自身も、コンビニで買い物しようと思って入ったときに、店員がマスクをしていなかったり、マスクを顎の方にずらして働いているのを見ると、

そのコンビニでは買い物せずに、別の店にいったりするようになりました。

弁護士事務所での相談でも、以前は、マスクなどつけずに相談に乗らせていただいていましたが、

いまでは、弁護士も相談者もマスク着用は必須ですし、相談室のような狭い部屋もできるだけ避けて、窓を開けて換気できる部屋で、相談をするように変わりました。

また、直接面談義務がある業務分野以外では、基本的に電話相談など、リモートの相談で完結するように工夫することも増えました。

緊急事態宣言の際には、裁判の進行が大きく中断しましたが、その後も、電話会議やWEB会議での期日が一気に広まったように思います。

私生活でも、12月は例年であれば、忘年会を口実に、気の合う仲間と集まって飲食をする季節ではありましたが、

今年は、ZOOM越しの集まりで済ませるようになりました。

普段の食事も、外食を避けて、自炊中心になりましたので、この点では、新型コロナの流行は、家計や健康に良い影響を与えたかもしれません。

ちょうど1年前の今頃を思い出すと、たった1年で仕事のやり方も、社会の雰囲気も、こんなにも変わるものかと驚かされるものがあります。

せめて来年の後ろ半分は、自粛不要の生活を送りたいものです。

「は」と「が」の使い分けについて

弁護士として仕事をしていると,日本語の細かな使い方についても気を使わなければなりません。

助詞の使い方ひとつで文章のニュアンスが変わることもあります。

先日,書面の推敲をしながら,ふと気になったことですが,

「AはBした。」という文章と「AがBした。」という文章は,どちらもよく似た意味の文章だけれども,ニュアンスに違いがあります。

しかし,どこがどう違うのか,うまくその感覚を言語化できずに,もどかしく思い,日本語文法の書籍等で調べてみました。

調べてみたところ,そもそも「~が」というときの「が」は格助詞と呼ばれ,文章のなかでその言葉が主語であることと示す働きがあるのに対して,

「~は」というときの「は」は格助詞ではなく副助詞(提題の副助詞)として分類され,話の主題や話題がなんであるかを示す働きがあるとのことでした。

どちらの文章でもAが主語になっているので,「は」も「が」も主語を表す助詞なのかと思っていたのですが,私の認識に誤りがあったようです。

確かにいわれてみれば,「次回期日は,追って指定します。」というときの「は」は,あくまで話題であり,主語ではありません。「次回期日が,追って指定します。」といわれたら,奇妙な日本語になります。

その他にも,「は」と「が」の使い分けについては,いろいろと興味深い説明がありました。

例えば,「が」は話者又は聞き手にとって新たな情報,「は」は既知の情報について語る時に使うというような使い分けや,複数の物事を列挙して話すときに「は」は対比を表すのにたいして,「が」は排他的関係を表すなどです。

例えば,「明日が書類提出の締め切り日です。」といわれたときと,「明日は書類提出の締め切り日です。」といわれたときでは,前者は,書類締め切りの日について知らない(あるいは忘れていそうな)人に対して語っている印象になるのに対して,後者は,共通認識となっている締め切り日について再確認しているような印象になります。

また,例えば「あの人の容姿が良い。」といわれるのと,「あの人の容姿は良い。」というのでも,ニュアンスが異なります。

前者は,「あの人」という人物の属性のなかの「容姿」という限定された排他的一部分について,「良い」と語っている形になるので,「容姿」以外の属性については肯定的なニュアンスも否定的なニュアンスもとくになく,「容姿」に関する純粋な誉め言葉としてみることができます。

他方で,後者の場合には「容姿はよいけれど・・・」というように,「容姿」という属性との対比で,容姿以外の「性格」などの別の属性が必ずしも「良い」と言えないといったニュアンスを含むことになってしまいます。

普段何げなく使っている日本語ですが,突き詰めて考えてみると,いろんな分類研究がなされているものだと,感心しました。