法と倫理

倫理学のなかで,よく議論になる話題として,トロッコ問題という問題があるのをご存知でしょうか?

英語では,trolley problemなどといわれ,世界的に有名な問題です。

ちなみに,トロッコといわれると,いまひとつイメージがわかない方は,トロッコを電車に置き換えて考えてもらっても同じ話になります。

問題の概要を説明しますと,

①トロッコの線路の分岐点に,分岐器が設置されているとします。そして,その分岐器を使えば,トロッコの進路を線路Aと線路Bのどちらかに自由に切り替えることができるとします。

②あなたは今,そのトロッコの分岐器の目の前に立っています。そして,自由に分岐器を操作して,トロッコの進行方向を切り替えることができます。

③そこに,分岐点に向かって運転制御を失って暴走するトロッコが猛スピードで走ってきました。

④いま,分岐器は,線路Aをトロッコが進む設定になっています。そして,線路Aでは5人の作業員が作業をしていて,このままで5人は確実にトロッコに轢き殺されてしまいます。

⑤もし,あなたが,分岐器を操作して,トロッコの進路を線路Aから線路Bに切り替えれば,線路Aの5人の作業員の命を助けることができます。

⑥しかし,線路Bでも1人の作業員が作業をしていて,もしあたなが,分岐器を操作してトロッコの進路を線路Bに切り替えると,この1人の作業員が轢き殺されることになります。

このような状況下で,あなたの採るべき行動はなんでしょうか?5人を助けるために,線路を切り替え1人の命を犠牲にすることでしょうか?

それとも,トロッコの暴走を見過ごして,5人の命を助ける機会を捨てることでしょうか?

これは,倫理的には非常に大きな問題です。

友人と議論していても,5人>1人の命の重さを考えて,迷うことなく線路を切り替えるという人もいれば,自分の行動で本来死ぬ運命になかった1人を死なせることは耐えられないから何もできないという人もいます。

ただし,倫理的な視点を一歩離れて法的な視点から見ると,答えは比較的単純です。

法律家として,もしクライアントからこのような質問が持ち込まれたときには,絶対に「何もしない(分岐器を切り替えない)」ことを勧めます。

理由は単純です。分岐器を切り替えて線路B上の1人の作業員を死なせる行為は,どう考えても刑法199条の殺人罪の構成要件を満たす行為になります。

したがって,もしあなたが良心から分岐器を操作して,線路Bの作業員1人を死なせた場合,あなたは「死刑又は無期若しくは5年以上の懲役」に処せられるリスクを負うこととなります。

では,反対に,何も行動せずに線路A上の5人の作業員を死なせることは,刑法上罪にならないのでしょうか?

刑法には,刑法218条保護責任者遺棄等のように,他者を助けなかったことが罪に問われる場合があります。また,殺人罪についても,一定の場合には,不作為による殺人罪の成立を認める考え方があります。

もっとも,これら犯罪は,あくまで「被害者を保護し助けるべき義務を負っている者」が,必要な義務を尽くさずに人を死なせるなどした場合に成立する犯罪です。

そのため,上記設問の事案で,分岐器を操作しなかったとしても,たまたまその場に居合わせたあなたが,線路A上の作業員5人を保護し助ける法的義務を負っていたとは認められないでしょうから,あなたが罪に問われる可能性は極めて低いと言えます。

したがって,非常に冷たい意見のようにも思えますが,法的にみると,トロッコ問題については,5人の作業員の命を見捨てて何もしないということが正解ということになります。少なくとも,刑法は,個人に対してそのような行動を期待する形で定められているといえます。

ところで,話は変わりますが,弁護士法人心ではホームページの集合写真を変更しました。

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