盟神探湯

先日、家で料理をしていたとき、誤って熱いお湯をいれた鍋をもってしまい、火傷をしそうになりました。

ああいうときは、指先からジンジンする痛みがはしって、反射的に手をひくことで酷いやけどをすることを避けることができます。

このように、火傷しそうになった手に痛みを感じながら、古代の裁判のことを思い出しました。

現代の日本の司法制度では、裁判は公務員である裁判官が裁判所において、当事者から提出された証拠をもとに判断をくだして行われます。

弁護士は、そのような裁判制度のなかで、当事者が裁判官に意見を伝えたり証拠について説明をしたりするお手伝いをすることを仕事としています。

もっとも、はるか古代にまでさかのぼると、そのような近代的で合理的な裁判制度があったわけではありません。

私が、高校時代に学んで衝撃を受けたのが、古代日本で行われていた盟神探湯という裁判です。

これは、熱湯に手を入れて、火傷をすれば有罪、火傷をしなければ無罪という裁判です。

このような裁判は、人間の理性を信頼し、証拠に基づいて合理的に判断をして裁判をすることを基本としている、現代人の感覚では、到底理解できないものです。

ただし、このような裁判形式は古代日本にだけみられるものではなく、世界各地に類似の事例がみられるようです。例えば、毒蛇のはいった箱に手を入れて嚙まれたら有罪、噛まれなければ無罪というようなものです。

このような裁判形式のことを神明裁判と呼ぶそうです。

その背景にある思想は、人間が有罪か無罪か、嘘をついているか否かについて、当事者がリスクのある行動をとって被害を受けずに済んだのであれば、それは神がその当事者に加護を与えたからであり、神が加護を与えたのであれば、そのものが有罪であったり嘘をついているはずはないという考え方だそうです。

ただ、蛇に噛まれるかいなかは運の要素があるので、まだ運試しとして成立しそうですが、熱湯に手を入れれば人体の構造上、10人中10人がやけどをするのではないかと思われます。

歴史書の中には、そのような裁判を行ったという記録は残っていますが、果たして裁判として本当に機能していたのかを考えると、非常に不思議な気持ちになります。