新年度を目前にする3月になりました

1年は12か月あり、それぞれの月に四季折々、それぞれの良さがあります。

ただ、そのようななかでも、新年度を迎える3月から4月への移り変わりは感慨深いものがあります。

大晦日から正月を迎える新年も感慨深いですが、3月から4月への変わり目は、多くの企業や官庁等で人事異動があり、卒業式、入学式、入社式というように、人間関係が大きな変化を迎えるタイミングです。ちょうど、日本の国花の一つである、桜の咲く季節でもあり、桜の下での卒業式や入学式などを思い出す季節ではないかと思います。

このように、1年の年度が、4月から翌月で区切られる制度は、法律にも根拠がございます。

例えば、国や地方公共団体の会計年度は、財政法や地方自治法などの法律で会計年度は、毎年4月1日に始まり、翌年3月31日におわるものとすると定められています。

学校の年度についても、学校教育法の施行規則で小学校が4月1日スタートと決められており、義務教育から高校まではこの施行規則の定めを準用していることから、4月1日スタートの3月31日までが1学年となる制度になっています。

このように、4月1日が1年度のスタートとされているのは、世界的に見れば決して普遍的な現象ではありません。

会計年度については、多くの国ではわかりやすく、1月~12月で1年度を数えています。日本でも、所得税などの税金の課税については1月~12月で計算をしている例ががあります。

また、学校の年度については、欧米の学校では9月入学を採用しているところが多いようです。

日本の大学でも、留学生獲得の便宜を考えて、9月入学を実施しようとするという試みもあるようですが、少数派です。

外国との交流には多少不便かもしれませんが、日本の社会の多くの局面で、3月に年度を締めくくって4月に一斉に新しい年度を始めるという運用は、慣れ親しんだ身からすると、便利で居心地が良いように感じます。

ただし、弁護士の業界については、例年12月に修習が終わり12月中に一斉登録をして、12月末から1月にかけて新しい弁護士が実務につき始めるというスケジュール感になっていますので、少しことなるタイミングで節目があることになります。

 

 

 

日本語の表現のむつかしさについて

最近、大阪では次々に新しいビルが建てられています。弁護士法人心は梅田エリアにある大阪駅前第三ビルというビルに入っていますが、梅田エリアだけでも、ここ数年を振り返っただけで何棟もの大きなビルの建設がされています。

特に、いわゆる梅北エリア周辺は開発の勢いが著しく、次々に新しいビルが建っている印象です。

先日、このようにビルがどんどんと増えていく様子を人に説明するのに、「まるで雨後の筍のように」という表現を使いました。

ちょうど、今年も、そろそろ筍の旬まであと少しという時期ですが、雨が降った後に筍がたくさん生えてくることからこのような比喩表現が使われるようになったようです。

日本語の慣用表現としては、比較的よく登場する比喩表現なので、説明した相手の人にも、この表現の意図はちゃんと伝わったのですが、「雨後の筍」という言葉を言い終わってふと気づいたことがあります。

私は、ビルが建設されている様子は何棟も生活のなかで目にしてきましたが、地面から筍がたくさん生えてきた様子というのは、実生活のなかで体験した記憶がありません。

この時話をしていた相手の方も、実際に実生活で筍が生えてくるところを目撃したことはないようです。

通常、比喩表現というのはイメージし難い物事を、より身近でイメージしやすい物事に喩えることで、相手の理解を促進するために行う表現の手法です。

今回の私の発言の場合、実際に日常生活の中で目にしている「ビルの建設」という現象を、慣用表現として抽象的には意味は理解しているものの、実際には目にしたことのない、「雨後の筍」という言葉で喩えており、本来の比喩の効果が発揮される局面とは本末が転倒しているように思われます。

おそらく、「雨後の筍」という表現が生まれた頃には、日本社会全体で、農村人口も多く、また、都市部にも竹藪などが点在していて、筍が生えてくる様子を日常生活のなかで目にする機会も多かったのだと思われます。

以前、ブログでお話した「秋の夕日はつるべ落とし」という表現もそうですが、生活スタイルの変化の中で、日常生活からはイメージが湧きにくくなってやがて消えていく言葉や表現というものがたくさんあるのだろうと思います。

このようにノスタルジーを感じる日本語表現について考えながら、弁護士として仕事をするうえで注意をしなければならないと思うことが、こういった、比喩表現などの慣用表現を、どこまで仕事で使う文章に記載してよいかという点です。

特殊な比喩ではなく、慣用表現として書籍などでも紹介されているような比喩表現であれば、状況の説明のために裁判等の文章のなかで書いても、ダメということはないように思われます。

ただし、比喩表現というのは、論理的に説明を積み重ねて相手に理解してもらう構造はもっておらず、あくまで「Bについてイメージをもっている人に対して、AをBに喩えることで理解を促進する」という構造で機能するものです。

そのため、読み手が「B」についてどの程度、具体的なイメージを持っているかがわからない状況で使ってしまうと、かえって読み手を混乱させ理解の妨げとなる恐れもあります。

そのため、仕事で書く文章では極力使用を控えたほうがいいのだろうかと思っています。

これとよく似た問題として、擬音語・擬態語などのオノマトペの使用も、どの程度まで許容されるかと悩ましく思います。

「ドンっと後ろから突き飛ばされるような衝撃を感じた」、「被害者の両手をロープでグルグルとしばって拘束したうえで、室内の貴重品を物色した」というような表現は、陳述書などでしばしば目にしますし、私も、よくこのような表現を使います。

しかし、こういった感覚的な言葉は便利なのですが、「ドンっ」、「グルグル」という言葉の語感を共有していない相手には、全く理解できない表現になるはずです。

特に、外国人の方など日本語のネイティブ以外には、この日本語のオノマトペの感覚は理解しにくいとも聞きます。

この点で、不特定多数の誰が読んでも、同じ理解に至れることができる分かりやすい文章を目指すのであれば、比喩表現やオノマトペの使用は控えた方が良いのだろうと思います。

ただ、「グルグル」巻きの状況を「グルグル」という言葉を使わずに説明しようと思うと、「幾重にもロープを重ねて・・・」、「ロープも何周も回しかけて、何重にもして・・・」と、なんとなくぎこちない文章になるように思います。

結論が出せる問題ではないと思いますので、これからもあれこれ悩みながら文章を考えていきたいと思います。

裁判所はどこにあるのかについて

弁護士の仕事というと裁判所に行って法廷でいろんな手続きを行うイメージがあるのではないかと思います。

テレビドラマなどで弁護士が出てくるシーンは、法廷で証人尋問をしていたり、「異議あり」とやっていたりするシーンが多いことから、そのような印象が強いのではないかと思います。

実際には、弁護士の仕事場所は、裁判所の法廷に行く仕事以外にも、自分のデスクで書面を書いたり、区役所に出かけて行って市民法律相談の担当をしたりと多種多様です。ただし、弁護士が、仕事で頻繁に裁判所に行くこともまた事実です。

ところで、一口に裁判所といっても大阪府内だけでもいろんな場所にいろんな裁判所があるのをご存じでしょうか。

裁判所には取り扱う事件の内容ごとに区別があります。また、場所も区々です。

イメージしやすい裁判所の事件としては、貸したお金が返ってこないから相手を訴えるであるとか、テレビドラマに出てくるような刑事事件ではないかと思いますが、こういった事件は、地方裁判所で審理が行われます。

ただし、金額が少額の事件などは簡易裁判所というより小規模で地域に密着した裁判所で行われることもあります。

また、離婚などの家庭に関する事件については、家庭裁判所で手続きが行われます。

さらに、日本の裁判制度では、判決に不満がある場合には、控訴・上告ということが可能ですので、高等裁判所や最高裁判所も裁判所の種類として忘れてはいけません。

このように、裁判所と一口にいっても、いろんな種類の裁判所があります。

大阪で裁判所といったときに、梅田界隈で仕事をしている弁護士が一番最初に思い浮かべるのは、西天満エリアにある大阪地方裁判所です。同じ敷地内に大阪簡易裁判所もあります。最寄り駅は京阪線の大江橋駅かなにわ橋駅になると思いますが、大阪駅や梅田駅、東梅田駅、南森町駅などからも徒歩10分~15分程度の距離です。河を渡る必要がありますが、北浜駅なども近くにあります。

しかし、大阪家庭裁判所については、違う場所にあって、谷町四丁目が最寄り駅になります。

このように地方裁判所及び簡易裁判所と家庭裁判所が離れた立地になることはめずらしいことではありません。

京都でも京都地方裁判所と京都簡易裁判所は丸太町通りの南側、柳馬場通と富小路通に挟まれたエリアにあります。

しかし、御所の南端に位置する京都地方裁判所から京都家庭裁判所まで行こうと思うと、御所にそって北に進み、御所の北東の角から、さらに北東の方向に進んで、葵橋とおって賀茂川をわたり、あと少しで下鴨神社というところまで進まなければなりません。

徒歩で行くのはちょっとしんどいなと思う距離です。

弁護士法人心は本店が名古屋であるため、名古屋で働いたこともあるのですが、名古屋の地方裁判所と家庭裁判所は、道路をはさんで向かい合わせに建物が立っていますので、京都や大阪の裁判所の立地は、かなり遠く感じます。

また、地方裁判所には支部というものがあります。大阪府内では、大阪地方裁判所の堺支部と岸和田支部が設置されています。

そのため、地方裁判所で取り扱われる事件でも、大阪府の南のエリアでは、それぞれ岸和田支部や堺支部で事件を取り扱うことになります。

さらに、簡易裁判所はより細かくいろんな場所に置かれています。大阪府内では、堺、岸和田だけでなく、池田、豊中、吹田、茨木、東大阪、枚方、富田林、羽曳野、佐野(泉佐野)に簡易裁判所が置かれています。

地方裁判所の事件になるか、簡易裁判所の事件になるかは、原則として裁判で争う金額の大小によって割り振られます。

例えば、枚方市にお住まいの方が、裁判を起こすときに、枚方簡易裁判所をイメージして、自宅の近くの裁判所で手続きが行えると思っていたところ、請求する金額を計算したら140万円を超えていたので、大阪地方裁判所の本庁がある西天満まで行かなければならなくなったというようなことが起こりえますので、裁判を考えるときには、どの種類の裁判所に裁判を起こすのかと、どの立地の裁判所に行くことになるのかをしっかり整理しておく必要があります。

 

公示送達について

裁判を起こす場合、訴状と呼ばれる書類を裁判所に提出します。

裁判所は、その訴状を訴えを起こされた人(被告といいます)に送り届けます。

この送り届けることを民事訴訟法の用語で「送達」といいます。

しかし、被告のなかには訴状の送達を受け付けない人もいます。

その場合、裁判所は訴えを起こした人(原告といいます)に被告が本当にその住所に住んでいるのかなどの調査を求めることが一般的です。

弁護士が原告の代理人についている場合には、代理人の弁護士が現地調査を行います。

通常は、調査によって被告の所在が明らかになります。

ただし、被告が本当に夜逃げしている場合など、調査を尽くしても被告の所在が明らかにならない場合もあります。

そのような場合、裁判を永遠に始められないのかというと、そういうわけではありません。

被告の所在が明らかにならない場合には、裁判所の掲示板に公示する公示送達と呼ばれる方法で訴状を被告に送達したことにすることが可能です。

そして、公示送達が行われると、裁判の期日が設けられますので、その期日に被告が出席して反論をしなければ、原告の言い分を認めた内容で判決がでてしまいます。

このように、裁判所からの呼び出しを受け取らないと、そのまま気づかないうちに裁判に負けてしまっていることがあるというのが、日本の裁判の仕組みです。

裁判所からの手紙については、決して見逃すことの無いように気を付けていただければと思います。

 

近頃の物価について

近頃、ニュースを見ていても、何かと値上げの話がつづいております。

スーパーやコンビニエンスストアなどで買い物をしていても、これまでは100円で買えていたものが、120円、130円と値を上げています。

私が普段よく通っている食堂でも、原材料高騰により値上がりがありました。

値上げに伴い、賃金が上がっていけば生活に困ることはないですが、日本全体の統計でみると、賃金の上昇よりも物価の上昇の方が速いらしく、現時点までのところ、実質賃金は減少を続けていると聴きます。

このような、物価の上昇のなかで日々の生活を送ることには、いろんな不安があるかと思います。

特に、現役で働いている世帯ではなく、年金を主な収入減としている世帯にとって、物価上昇はかなり苦しいのではないかと思います。

弁護士法人心でも障害年金の申請手続きのサポートを取り扱い分野の一つとしておりますので、年金額と物価のバランスというのは気になる問題です。

年金額の決まり方は、一般的に法律で定められた年金額(現行では78万900円)に毎年、改定率を乗じて、その年度の年金額を決める仕組みとなっています。

この改定率というのが、非常に複雑であり、基本的には、名目賃金の変動と物価の変動を考慮しながら年金額が調整される仕組みがとられています。

国民年金等の公的年金制度は、単なる銀行の定期預金や多くの民間の年金保険等に比べて、物価に応じて支給額が変動する仕組みがとられている点で、インフレに対して強みがあるといえます。

日本年金機構のホームページでも、「年金額の実質価値を維持するため、物価の変動に応じて年金額を改定することをいいます。現行の物価スライド制では、前年(1月から12月まで)の消費者物価指数の変動に応じ、翌年4月から自動的に年金額が改定されます。私的年金にはない公的年金の大きな特徴です。」と紹介されています。

ただし、年金額が物価変動に応じて調整されているといっても、例えば物価が全体で10%上昇したから、来年の年金額も10%上昇するというような単純な仕組みにはなってはいません。

日本年金機構のホームページでは、上記の説明につづいて「なお、平成17年4月から、財政均衡期間にわたり年金財政の均衡を保つことができないと見込まれる場合に、給付水準を自動的に調整する仕組みであるマクロ経済スライドが導入されました。これにより、年金額の調整を行っている期間は、年金額の伸びを物価の伸びよりも抑えることとします。」と記載されています。

このマクロ経済スライドにより、物価や賃金が急上昇した場合でも支給される年金額は「調整率」というものを掛け合わせることで、同じ勢いでは上昇しないように調整されることとなります。

これだけ聞くと、物価が上がっても同じように年金が上がっていかないのであれば、年金はあてにならないと思われる方もいるかと思います。

この点については、「将来の現役世代の負担が過重なものとならないよう、最終的な負担(保険料)の水準を定め、その中で保険料等の収入と年金給付等の支出の均衡が保たれるよう、時間をかけて緩やかに年金の給付水準を調整することになりました。」と日本年金機構のホームページでは趣旨が紹介されています。

要するに、国民年金の給付額は、世代間扶養の理念のもと、年金受給をする方自身が払ったお金だけでなく、現役世代の支払う保険料を加えて初めて賄うことができています。そのため、現役で働く労働人口に対して、リタイアして年金の受給する側に回った人口の比率が高くなった社会で、物価変動をそのまま年金支給額に反映していたのでは、現役世帯の家計がパンクする恐れがあるという判断のようです。

確かに、物価の伸びよりも賃金の伸びが大きいような景気の良い社会であれば、年金保険料が多少あげられても、現役世代から不満は上がらなさそうですが、反対に、物価の伸びより賃金伸びが少ない状態で、年金保険料まで上がってしまうと、現役世代の生活が回らなくなるのではないかという懸念は理解できます。

調整率の設定が妥当なのかどうかなど制度の是非は、政治家ではないのでわかりませんが、少なくとも国民年金には一定のインフレリスク対応ができるというメリットはありますので、結局のところ、国民年金とその他の私的な年金保険、貯金等の様々な備えをすることで生活を維持できるようリスク分散をするしかないのかなと思われます。

釣瓶

10月も半ばを迎え、だいぶ空気が秋めいてきました。

秋の夕日はつるべ(釣瓶)落としといいますが、日が沈むのも随分早くなり6時前にはすっかり暗くなるようになりました。

ところで、この「つるべ(釣瓶)落とし」という慣用表現について、そもそもこの「つるべ(釣瓶)」というのは近頃の若い方にはどこまで理解してもらえる表現なのでしょうか。

「つるべ(釣瓶)」というのは、井戸から水をくみ上げるときにつかう滑車にかけたロープの先の桶のことです。また、そういった桶やロープ滑車を含めた井戸から水をくみ上げる機構全体を「つるべ(釣瓶)」と呼ぶ言葉の用法もあるようです。

秋の夕日はつるべ落としという慣用表現は、井戸につるべ(釣瓶)がストーンと落ちていくようにすごく早く夕日が沈み、日が暮れる秋の様子の描写です。

私の育った家には釣瓶の付いた井戸はありませんでしたが、奈良県の祖父母の家には井戸がありましたので、秋の夕日はつるべ落としという表現を聴いた時に、情景をイメージをすることは容易でした。しかし、生まれも育ちも都会でずっと過ごしてきた、特に若い世代の方にはつるべ(釣瓶)のついた井戸というのは、イメージがしにくいのではないかと思います。

ちょうど、「ファミコンのソフトをフーする」、「ビデオを巻き戻す」、「レコードに針を落とす」、「レコードの針が飛ぶ」といった、昔は身の回りにあふれていた物品にまつわる表現で、いまではその物品自体が稀少になったため、イメージがわきにくくなった日本語表現の一つではないかと思います。

昔はおそらく大阪の街でも、長屋ごとに井戸が掘られて、文字通り井戸端会議がされていたのだと思いますが、今では大阪の街なかで、井戸というものを見つけるのは至難の業かと思います。

なお、弁護士法人心大阪法律事務所とは梅田の駅をはさんで反対側になりますが、梅田スカイビルの地下1階は、滝見小路という昭和レトロを売りにした飲食店街があります。その中には、釣瓶式ではないですが、手押しポンプ式の井戸の模型が再現されていた記憶です。

大阪で井戸に興味を持った方は一度訪問してみても面白いかもしれません。

井戸は、昔は生活用水の確保のために不可欠な存在でしたが、上下水道の発達した現在では、需要がほとんどなくなりました。

もっとも、地震などの大災害でライフラインが寸断された場合などには、自宅の庭で井戸水をくみ上げられる環境というのは非常に安心感があります。

災害や水道網の老朽化への備えとして、井戸の存在は見直されても良いのではないかと思います。

この点に関連して、じゃあ明日から自宅の庭に井戸を掘ろうと思って、法的にそれは許されることなのかという点が、弁護士の性として気になりました。

調べてみると、少なくとも法律レベルでは井戸掘りについて統一的なルールを設けた法律は無いようです。

ただし、むやみに地下水の採取を許すと、地盤沈下などの問題が生じるので、各自治体ごとに条例等で地下水の採取については規制を設けているようです。

大阪ではどうだろうかと思って調べてみたところ、大阪市のホームページに「大阪市では、工業用水法で定める指定地域内において、吐出口の断面積(吐出口が2つ以上あるときは、その断面積の合計)が6平方センチメートル(口径27.6ミリメートル)を超える揚水機(ポンプ)を用いて、工業の用途に使用する地下水を新たに汲み上げようとする場合は、市長の許可を受ける必要があります(吐出口の断面積が6平方センチメートル以下の場合でも、許可の対象外であることを現地にて確認させていただく場合があります)。」と記載されていました。

では、工業用水法で定める指定地域というのは大阪市のどの範囲なのだろうかと思って調べてみたのですが、具体的にどのエリアにどのような規制があるのかについてhttps://www.pref.osaka.lg.jp/kankyohozen/jiban/kiseikuiki.htmlに詳しく表がつくられていました。

基本的には、大阪市のほとんど全域に規制がかかっているようです。

大阪で井戸を掘る場合には、行政に事前にしっかり相談をして許可を受けたうえで掘る必要があるようです。

夕食と終電について

弁護士の仕事をしていると、例えば4件の文章を今日中に書きあげなければならないといった、ノルマの中で仕事をしなければならないこともあります。

時は金なりということわざもありますが、金で時間がかえるなら買いたいと思うような忙しい日も少なくありません。

特に、夕食を食べる時間もなく、終電間際で何とか書面を書きあげようと、キーボードをたたいていると、焦燥感と高揚感の混じった感覚に襲われることがあります。

いわゆる、アドレナリンがでるというやつでしょうか。

ちなみに、先日、インターネットの書き込みでみた究極の選択に、「貧乏な若者と、金持ちの老人、なれるのであればどちらになりたいか」という問いがありました。

詳細は覚えていませんが、例えば資産~億円の60歳の老人になるのと、資産0円の18歳の若者になるのと、自由に選べるならどちらいいかというようなといです。

そして、もし、若者の方を選ぶのであれば、選ばなかった方の老人の資産額が若さの値段というものなどというような話の締めくくりでした。

まあ、なるほどなと思う話で、時間というものの価値を、お金という分かりやすい尺度で実感させてくれる良い話だなと感心しました。

時間の価値を実感するという点では、非常によくできた話ですが、実際には、人間は老人になったからといって億単位の資産が自動的についてくるわけでもないですし、手持ちの貯金を全部なげだしたとしても若返ることができるわけでもありません。

将来後悔ののこらないように、一生懸命働こうと思います。

阪神タイガース優勝

先週、阪神タイガースが18年ぶりのリーグ優勝を果たしました。

阪神ファンの友人から、喜びにあふれたLINEが届くなど、当日は、なんとなく心が明るくなうような日でした。

ただし、報道などをみていると、今回は、それほど大きな騒動にはならなかったようですが、阪神優勝というと、道頓堀への飛び込みや、かに道楽の損壊、カーネルサンダースへの加害など一部ではよくないエピソードも思い起こされます。

法律面で、実際のところ犯罪になったりするのかというところが興味があったため、少し調べてみました。

なお、かに道楽やカーネルサンダースへの加害は、明らかに器物損壊であり、調べるまでもなく刑法に抵触します。

では、道頓堀への飛び込みは、何に抵触するのかと思って調べてみると、特にこれといって、河川への飛び込み行為を禁止する法律はないようです。

ただし、映像をみていると、今回は戎橋のうえにずらっと警察官の方々がならんで飛び込みをさせない構えでガードしていたようですが、例えば、こういった警察官の制止を振り切って、無理に飛び込もうとすると公務執行妨害罪などに当たる可能性があるので注意が必要です。

また、数年前に道頓堀にダイブした方が観光船と衝突する事故を起こしたことがありましたが、そういったことがあれば、業務妨害、過失傷害や器物損害等の刑事罰の対象ともなりますし、民事上の賠償請求の対象ともなります。

 

成人と子供について

成人年齢が18歳に引き下げられたことは、非常に大きな話題になった法律上の変化です。

ただし、以前のブログでも言及したところですが、法律の適用がすべて18歳で区切られるというわけではありません。

飲酒などについては引き続き20歳まで禁止されます。

また、成人年齢の問題を話し出すと、どうしても成人と未成年という二分論の境界線が何処にあるかという発想になりますが、実際の法律では、年齢に合わせてもっと細かな区分がされていることがあります。

例えば、少年法では、20歳未満(19歳以下)が少年とされています。ただし、死刑の適用については、罪を犯したときに18歳未満(17歳以下)であったかどうかで、死刑が適用される場合でも無期懲役になるか、そのまま死刑判決がされるかが変わる仕組みになっています。

また、14歳未満か否かで、少年審判に付される要件が変わる仕組みになっています。

そして、刑法でも責任年齢として14歳未満の行為は罰しないとされています。

このように、法律の世界では、単純に成人と子供とを二分するのではなく、より細かく、年齢による発達の段階で徐々に責任の程度や処罰の程度が重くなっていく仕組みがとられています。

人間というのは、徐々に成長していき大人になるものですから、このような段階的な法の規律ということが必要になってきます。

弁護士と物理学について

弁護士というのは、基本的に大学の法学部を卒業して、司法試験に合格して、弁護士になる人が多いです。

新司法試験制度移行は、法科大学院で法学を学んでから、司法試験に合格というルートが一般的です。

いずれにしても、弁護士の多くは文系畑の出身であり、個々人の差があるにせよ、物理や数学などの理系科目は、理系学部で大学を卒業した方に比べると苦手なことが多いです。

しかし、実際に、弁護士の仕事を始めてみると、実務の世界というのは、文系理系というような二元論では片づけられない問題にあふれています。

特に、交通事故などで過失割合が問題になる場合には、例えば、ブレーキ痕から衝突の態様をあきらかにしようと、摩擦係数やらなんやらといった複雑な計算が必要になります。

あるいは、車の凹みぐあいなどから、衝突の速度を計算したりと、物理の話がたくさんでてきます。

最終的には、こういった複雑な計算は専門の鑑定会社にお願いして鑑定してもらうのですが、弁護士が訴訟の方針をきめるためにも、弁護士自身がある程度、自動車の物理工学について知っていることは重要です。

なお、そういった際に、私は立花書房から出版されている『交通資料集』という書籍をよく参照しています。

その他にも、自動車工学に関する書籍は数多く出版されており、すべて大切な資料なのですが、この『交通資料集』は、時速別停車距離の表など、必要な結論部分がコンパクトな書籍のなかにまとまっていて、非常に使い勝手が良いです。

 

七夕の昔話が大人になってみると怖い話に思えることについて

7月というと七夕があります。

このまえ、近所のお寺の前を通ると、竹にたくさんの短冊をつるしていて、季節を感じました。

小学校のころから、短冊に抱負や願いをかいたりして、七夕というと楽しいいイベントであった記憶です。

また、七夕の昔話も、天の川をわたって織姫と彦星が逢うことのできる日ということで、どちらかというと男女の愛情にかかわるロマンチックな話として、子供の頃は、なんだか綺麗ないい話としか感じていませんでした。

しかし、七夕の昔話は、より詳しく思い出すと、もともと機織りの織姫と牛飼いの彦星が恋仲に落ちて、仲睦まじく過ごすばかりで真面目に働かなくなったため、天の神が二人を天の川によって引き離し、真面目に働いていれば年に1回だけ逢うことを許すことにしたという話です。

弁護士という仕事柄、どうしても「働く」という言葉をきくと、労働基準法などの労働法規を連想してしまいますが、大人になって七夕の昔話を考えてみると、両性の合意により結びついた婚姻関係にある二人を、無理やり引き離して隔離し、1年間の労働を強制し、ただ1年に一度だけ逢うことが許されるという話なわけですから、ロマンチックどころか凄まじいブラックな労働環境と人権侵害の話です。

苛酷な労働環境、機織りというキーワードを合わせると、「女工哀史」や「あゝ野麦峠」、「糸をひくのも国のため」といった話がおのずと想起されますが、歴史をふりかえれば、織姫の神話のように、家族と引き離されて労働を強いられたエピソードはたくさんあるのでしょう。

近年では、働き方改革などで残業時間の規制など、労働時間を制限する方向性が顕著ですが、考えてみると、様々な労働法規による保護と規制も、長い問題解決の歴史の中で形成されてきた、貴重な遺産なのだなと感慨深く感じます。

もう6月

弁護士の仕事をしていると、日々、忙しく怒涛のように時間が過ぎていきます。

つい1~2週間前に5月のブログを書いたような気がしていたのに、もう1か月が経過していたりします。

有名な物理学者のアインシュタインは、相対性理論を説明するのに、Put your hand on a hot stove for a minute, and it seems like an hour.Sit with a pretty girl for an hour, and it seems like a minute.(熱いストーブのうえに手をおいてたら1分も1時間に感じるだろうし、美女の横に座れば1時間も1分に感じられる)という表現を使ったそうです。

体感時間というものが、物理学の高度な理論とどのように関連するのかは、門外漢である私にはわかりませんが、確かに、経験上、時間の流れというのは、主観の在り方によって随分と影響を受けることはよく理解できます。

仕事をしていて、時の流れを速く感じるというのは、それだけ仕事が充実しているからなのかもしれません。

それにしても、主観と客観のずれというのは、人間の避けがたい性質の一つのようです。

弁護士の仕事をしていると、過去に起きた出来事について正確に聴き取って文章にまとめたり、証拠を集めたりすることが必要です。

交通事故の尋問などのときには、その日にあった出来事を事細かく、位置関係や移動距離、移動時間など特定して陳述書を作成したりします。あるいは、破産管財人に破産者の借金をした経緯を説明するときには、依頼者の方のこれまでの生活状況を時系列で細かく説明したりもします。

弁護士は、依頼者の代理人ですので、依頼者の言葉を代弁する形で陳述書を作成します。

ただし、依頼者から過去の事実関係についてお話をお伺いするときに、常に聴き取ったお話の内容が、その他の客観的な証拠と整合するかを気にして確認するよう努めています。

このようにいうと、お客様である依頼者の言葉を疑ったり信用していないように思われてしまうかもしれませんが、決してそういうわけではありません。依頼者の方が嘘をついていると思うから、証拠の裏付けを求めるというわけではありません。

むしろ、上での述べたように、人間の主観的な認識と客観的な状況というものが、非常に齟齬をきたしやすいものであると思うために、お客様の主観的な記憶と、その他の客観的な証拠の照合作業を欠かさないようにしようと思うわけです。

例えば、交通事故で相手の車との距離について、だいたい10mぐらい離れていたという記憶でお客様が話をされているときでも、実際に、現地にいって一緒に距離を計測したりすると、実際には5m程度の距離しか離れていなかったということもあります。そして、裁判を進めるうえで車間距離が5mであった方が、依頼者にとって有利ということもありえます。

このような場合、依頼者からきいた10mぐらいだったという言葉をそのまま陳述書に書き写すのではなく、客観的な証拠との整合性を検討したうえで、5m程度であった可能性について言及したほうが、依頼者の方の利益にかないます。

もしかすると、弁護士と話をしていると、「私の話をした内容をいちいち他の証拠で確認している。私のことを信用していないのではないか。私が嘘をついていると疑っているのではないか。」と心地悪く思われる方もいるかもしれません。

ただ、基本的に弁護士が細かく証拠との整合性を検討しようとするのは、依頼者の話をする内容が嘘じゃないかと疑っているからではなく、人間が一般的に起こしがちである主観と客観とのズレが起きていないかをチェックして、少しでも依頼者の有利な方向に事件を進められないかと考えてのことですので、どうか寛容なお気持ちで、弁護士の不躾な質問や証拠の確認を受け入れていただければ幸いです。

 

 

金沢で弁護士をする同期の友人からお酒がとどきました

今年のゴールデンウイークは、コロナ流行も落ち着いて、すごく多くの人出だったようです。

そのようなゴールデンウィークの間に、石川県では大きな地震がありました。私の同期の弁護士が金沢で働いていますので、久しぶりにお見舞いのLINEを送ってみましたが、幸いにして特に問題はなかったようです。

その同期の友人から聴くところによると、金沢市内よりも能登半島の奥の方が、揺れが激しかったそうです。

そして、後日、その友人から私の職場に「奥能登の地酒」と包装紙に書かれた贈り物が届きました。

お中元の季節でもないのに何だろうと思って連絡をとってみると、その友人曰く、被災地を応援する気持ちで奥能登の地酒を購入したので、私のほうにもお裾分けで送ってくれたそうです。

酒飲みの発想だなと可笑しく思いつつ、なかなかに洒落た心配りに、うれしい気持ちがしました。

届いたのは、「谷泉」というお酒でした。どんな銘柄なのか、気になってインターネットで調べてみると創業230年の伝統のある酒造店でした。興味深いことにお酒を造る杜氏の方について、石川県で唯一、女性の杜氏の方がいる酒造店と紹介されていました。

なお、法律に絡めた話をすると「地酒」という言葉については、明確な法的な定義はないそうです。

「地酒」というのは、法的に定義される言葉ではなく、あくまでご当地の特色が豊かにでた特徴のあるお酒という意味の日常の言葉です。

法的な言葉で今回の贈り物を語るとすると、「清酒」という言葉になります。

「清酒」を含む、様々な酒類に関する定義は、酒税法という法律に定められています。

酒税法では、清酒とは、「次に掲げる酒類でアルコール分が二十二度未満のものをいう。イ 米、米こうじ及び水を原料として発酵させて、こしたもの ロ 米、米こうじ、水及び清酒かすその他政令で定める物品を原料として発酵させて、こしたもの(その原料中当該政令で定める物品の重量の合計が米(こうじ米を含む。)の重量の百分の五十を超えないものに限る。)」

と定義されています。

この他にも、「発泡酒」と「ビール」の違いなども、酒税法の定義から確認ができます。

普段口にするお酒についても、掘り下げて考えると法律に絡めたお話がでてくるものです。

酒類の定義などという無粋な話は、酒の味が不味くなりそうな話ですので、このあたりで終えたいと思います。

 

 

盟神探湯

先日、家で料理をしていたとき、誤って熱いお湯をいれた鍋をもってしまい、火傷をしそうになりました。

ああいうときは、指先からジンジンする痛みがはしって、反射的に手をひくことで酷いやけどをすることを避けることができます。

このように、火傷しそうになった手に痛みを感じながら、古代の裁判のことを思い出しました。

現代の日本の司法制度では、裁判は公務員である裁判官が裁判所において、当事者から提出された証拠をもとに判断をくだして行われます。

弁護士は、そのような裁判制度のなかで、当事者が裁判官に意見を伝えたり証拠について説明をしたりするお手伝いをすることを仕事としています。

もっとも、はるか古代にまでさかのぼると、そのような近代的で合理的な裁判制度があったわけではありません。

私が、高校時代に学んで衝撃を受けたのが、古代日本で行われていた盟神探湯という裁判です。

これは、熱湯に手を入れて、火傷をすれば有罪、火傷をしなければ無罪という裁判です。

このような裁判は、人間の理性を信頼し、証拠に基づいて合理的に判断をして裁判をすることを基本としている、現代人の感覚では、到底理解できないものです。

ただし、このような裁判形式は古代日本にだけみられるものではなく、世界各地に類似の事例がみられるようです。例えば、毒蛇のはいった箱に手を入れて嚙まれたら有罪、噛まれなければ無罪というようなものです。

このような裁判形式のことを神明裁判と呼ぶそうです。

その背景にある思想は、人間が有罪か無罪か、嘘をついているか否かについて、当事者がリスクのある行動をとって被害を受けずに済んだのであれば、それは神がその当事者に加護を与えたからであり、神が加護を与えたのであれば、そのものが有罪であったり嘘をついているはずはないという考え方だそうです。

ただ、蛇に噛まれるかいなかは運の要素があるので、まだ運試しとして成立しそうですが、熱湯に手を入れれば人体の構造上、10人中10人がやけどをするのではないかと思われます。

歴史書の中には、そのような裁判を行ったという記録は残っていますが、果たして裁判として本当に機能していたのかを考えると、非常に不思議な気持ちになります。

裁判所ごとの運用の違いについて

弁護士法人心は関西、東海、関東の幅広い地域に支店を展開しています。

そのため、社内で会議を開いたり、特定の法律分野について社内研修会などを開いたりして、他の支店の弁護士の話をきくと、裁判所ごとに細かな運用が異なることを知らされます。

たとえば、交通事故の慰謝料の計算の仕方一つをとっても、大阪と東京では主に参照されている慰謝料の基準表がことなります。

また、借金の整理のなかには、個人再生という手続きがございますが、この手続きのなかには、個人再生委員というものを選任するかどうかという問題がございます。

この個人再生委員の選任ついては、東京地裁では原則として個人再生委員を選任することとされており、実際に東京の支店の弁護士に聞くと、大半の案件で個人再生委員が選任されるとのことでしたが、大阪や京都など関西地域では、債権額を巡って争いがあったり、財産額の評価が特に難しい案件などでなければ、一般的にはあまり個人再生委員が選任されない傾向があります。

また、同じ関西の地域でも、大阪と京都でも裁判所が異なれば、利用する書式に違いが生じたりします。

同じ国会で制定された同じ法律を利用する手続きですが、裁判所ごとにこのような違いがあるというのは、非常に興味深い現象です。

また、実際に弁護士に依頼して事件処理を任せようと考えるお客様からすると、その弁護士が、どれくらい現地の裁判所の運用に通じているかも確認してみると、より良い選択ができる可能性があります。

AIに弁護士の仕事は奪われたりするのだろうかという問題について

最近テレビなどで、「AI」、「人工知能」の発展がしばしば取りざたされており、一説によると現在存在している多くのサラリーマンの仕事は、AIによって奪われてなくなってしまうということです。

弁護士の仕事も、例外ではなく、契約書チェックや判例検索などはいまでも人工知能が行うことができるようなっているそうです。

また、直近ではChatGptが非常に話題になっていて、かなり高度な文章を起案してくれるようです。

さすがに、裁判の主張書面を弁護士の代わりに書くようなAIは今はないだろうと思いますが、このまま技術が発展していけば、弁護士が書いた主張書面が、AIの書いた主張書面によって、裁判で負けてしまうような時代も来るのかもしれません。

技術の発展は時代の流れですので、止めようのない話ですが、末恐ろしい思いもします。

ただ、時代をさかのぼれば、パソコンもワープロもない時代には手書きで裁判の書類を書いていたわけですし、民事訴訟法も改正を重ねて、電話会議やテレビ電話を利用した裁判手続きなどもどんどん普及してきています。

便利になる反面、期日の直前に突然、パソコンがフリーズして焦って裁判所に電話するなど、裁判所に実際に出頭していたときには思いもよらないトラブルで冷や汗をかくこともあります。

新しい技術は、学ぶのも大変ですが、厭うことなく興味を持って学んでいかなければならないなと思います。

 

年末ジャンボ宝くじ

あけましておめでとうございます。弁護士の有田です。本年もよろしくお願いいたします。

先月のブログで、スポーツ振興投票に関する法律に触れましたが、宝くじの中で一番有名なのは「年末ジャンボ宝くじ」ではないかと思います。

totoなどのスポーツ関連の宝くじは、根拠法がスポーツ振興投票の実施等に関する法律ですが、いわゆる宝くじについては、別に根拠となる法律がございます。

それが「当せん金付証票法」という法律です。

スポーツ振興投票の実施等に関する法律は、平成10年頃に作られた比較的新しい法律ですが、当せん金付証票法は、昭和の時代から続く、歴史のある法律です。

「当せん金付証票」とはなんなのか?ということですが、この法律の2条では「その売得金の中から、くじびきにより購買者に当せん金品を支払い、又は交付する証票をいう。」と定義されています。

簡単にいうと、くじを売った売り上げの中から、くじ引きで当選した人に当せん金を支払うという仕組みでやっている宝くじののことです。

スポーツ振興投票は、スポーツの振興のために売り上げが使われますが、こちらの当せん金付証票法に基づく宝くじは、「この法律は、経済の現状に即応して、当分の間、当せん金付証票の発売により、浮動購買力を吸収し、もつて地方財政資金の調達に資することを目的とする。」と第1条の趣旨にかかれています。

要するに、地方自治体の財政を助けるために、宝くじは、発行されているということです。

そのため、この法律の4条1項でも「都道府県並びに地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第二百五十二条の十九第一項の指定都市及び地方財政法(昭和二十三年法律第百九号)第三十二条の規定により戦災による財政上の特別の必要を勘案して総務大臣が指定する市(以下これらの市を特定市という。)は、同条に規定する公共事業その他公益の増進を目的とする事業で地方行政の運営上緊急に推進する必要があるものとして総務省令で定める事業(次項及び第六条第三項において「公共事業等」という。)の費用の財源に充てるため必要があると認めたときは、都道府県及び特定市の議会が議決した金額の範囲内において、この法律の定めるところに従い、総務大臣の許可を受けて、当せん金付証票を発売することができる。」と定めれていてます。

要約すると、宝くじの販売は、総務省が認めた事業について、総務大臣の許可を受けた場合にだけ、都道府県や指定都市といった地方自治体が販売できるということです。

このように、宝くじの販売は、行政によって管理されていますので、宝くじを購入することは合法です。

ただし、少し話はそれますが、自己破産などの裁判所を利用する債務整理を行う予定がある場合には、宝くじの購入は競馬やパチンコなどのギャンブルと同じ射幸行為の一つとして免責不許可事由(破産をしても借金を免除してもらえない事情)と扱われる恐れがあるので注意が必要です。

 

 

 

ワールドカップをみて思うこと

テレビでは連日、ワールドカップ関連のニュースが報道されています。

日本代表が、スペイン、ドイツという強豪国に勝利して決勝リーグに進むなどドラマのある展開でしたので、盛り上がるのも当然かと思います。

弁護士仲間の間でも、近頃は、「どの国が優勝するだろうか」など、サッカーの話題が多くなりました。

ところで、サッカーのような規模の大きいスポーツには、それに関連するいろんなルールがあるはずです。

気になって「サッカー 法律」などのキーワードで検索してみました。

真っ先にでてきたのは、「平成十四年度ワールドカップサッカー大会特別措置法」という法律でした。

これは、平成14年に日韓合同開催で行われたワールドカップの運営や財源に関して定めた法律です。

日韓合同開催のワールドカップのときには、ちょうど私は田舎から東京にでて大学生をやっていたときでしたので、渋谷の街中で盛り上がるサポーターの群衆をみて、「えらいさわぎだな」と驚いたのを覚えています。

私にとっては、懐かしい思い出ですが、「平成十四年度ワールドカップサッカー大会特別措置法」自体は、僅か4条だけの短い法律ですので、読んでも大して面白い箇所はありません。

その次に、検索でヒットするのが「スポーツ振興投票の実施等に関する法律」です。

スポーツ振興投票とは何なのか?という話ですが、簡単にいうと宝くじ売り場でうっている、totoのようなスポーツ関連の宝くじのことです。

ああいったスポーツ関連の宝くじの売り上げは、その一部が、日本のスポーツ振興政策に利用されています。

その仕組みの根拠法令が、このスポーツ振興投票の実施等に関する法律ということになります。

ちなみに、なぜこのような法律が必要かということですが、そもそも宝くじのように、当たれば一攫千金、外れれば出したお金は全部失うというハイリスク、ハイリターンの商品は、原則として「国民の射幸心を煽り、勤労の美風を損ない、国民経済の影響を及ぼす」という理由で法律で禁止されています。

刑法187条では「富くじ発売等」について「1 富くじを発売した者は、二年以下の懲役又は百五十万円以下の罰金に処する。2 富くじ発売の取次ぎをした者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。3 前二項に規定するもののほか、富くじを授受した者は、二十万円以下の罰金又は科料に処する。」と刑事罰が定められています。

刑法187条をみると、勝手に宝くじを売った側が処罰されるのはもちろんですが、3項では、その宝くじを受け取ったものも処罰されることになっていますので、注意が必要です。

このように、原則として宝くじは禁止なのですが、特別に法律でみとめられたものだけが、販売が許されているという関係になります。

 

法人について

弁護士法人心は、その名称のとおり、弁護士法人です。

弁護士法人というのは、弁護士法第4章の2に根拠が定められている法人のことです。

弁護士法30条の2では、「弁護士は、この章の定めるところにより、第三条に規定する業務を行うことを目的とする法人(以下「弁護士法人」という。)を設立することができる。」と定められています。なお、弁護士法第3条1項では、「弁護士は、当事者その他関係人の依頼又は官公署の委嘱によつて、訴訟事件、非訟事件及び審査請求、再調査の請求、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件に関する行為その他一般の法律事務を行うことを職務とする。」と定められており、このような業務を法人という組織をもって行うことを可能とすることに弁護士法人の特徴があります。

法人となることができるというのは、法律上の人格を認められるということです。法人として認められた組織は、法人の名義で権利義務の主体となったり、裁判などの当事者となったりすることができるようになります。

このような法人には、様々な種類があります。学校法人や財団法人、宗教法人なども法人です。このような法人のなかで、多くの人にとって一番身近な存在は、株式会社であろうかと思います。日本の多くの人は、株式会社に雇用されて給料をもらい、株式会社が生産した商品を、株式会社が経営する商店から購入して生活をしています。

コンビニエンスストアで購入したポテトチップスから、毎日そでを通しているスーツまで、株式会社と無縁で生活することはできません。

このように身近な株式会社という存在ですが、ふと気になって、日本にはどのくらいの数の株式会社か調べてみました。

テレビのニュースなどで、日経平均株価などが報道されますが、あのような証券取引所で取引される対象となるような証券取引所に上場されている株式会社だけで3800社程度あるそうです。

之だけでも、把握しきれないほど大量の会社ですが、これは日本に存在する株式会社のほんの一部分です。

株式会社は、大きなものから小さなものまで含めると、概ね200万社ほどあるそうです。

私の馴染みのある政令指定都市の人口と比較すると、大阪市の人口が約270万人、名古屋市の人口が約230万人、京都市の人口が約150万人程度ですので、日本の株式会社の数は、それらの政令指定都市とそん色ない程度であるといえます。

もちろん、自然人と違って、株式会社には法律上存在しているだけで、何の活動もしていない休眠会社もあると思いますが、それにしても、想像していた以上に株式会社というのがあるものだなと驚きました。

 

 

 

 

 

淀川水系

弁護士法人心大阪法律事務所は大阪市北区梅田にございます。

梅田から北の方に少しあるくと、すぐに淀川につきあたります。

弁護士法人心は京都にも事務所があり、私は京都の方の事件もたくさん取り扱っておりますので、京都・大阪間をよく移動しますが、その際は淀川沿いに移動することになります。

落語の演目の一つに「三十石」という演目がありますが、昔は、大阪・京都間は三十石船という船で、淀川を往来していたそうです。

現在では、急行に乗れば30分ほどで行き来できる距離ですが、昔は、大阪・京都間の移動はものすごく時間のかかる仕事であったはずです。

それでも、鉄道が発達する前の交通を考えると、船をつかった水運は、最も早く大量の物資を運ぶことのできる非常に有効な輸送手段だったのだと思われます。

地図を眺めていると、河川と河川のつながりから水系を理解することができます。

そして、水系をみていると、地域間の文化や歴史の繋がりについて理解を深めることができるので、興味深いです。

淀川にそそぐ河川は、淀川水系と呼ばれますが、淀川には、木津川、宇治川、桂川、鴨川などの大きな河川が京都市の南で合流して淀川になります。

木津川は遡ると、私のふるさとである三重県名張市や奈良県宇陀市を流れる名張川や宇田川、芳野川にまでさかのぼることができます。

職場のすぐ目の前を流れている大きな淀川が、川の流れをたどると、自分の故郷につながることを思うと、感慨深いものがあります。

また、宇治川はさらにさかのぼると瀬田川となり、さらにさかのぼると琵琶湖にいたります。

最近知ったことですが、琵琶湖というのは「湖」と呼ばれていますが、河川法の定義に従うと琵琶湖は1級河川になるそうです。

弁護士としては、法律の規定を重視するべきなのかもしれませんが、琵琶湖をみて河川だというのは、なかなか実感の湧かない話です。

なお、琵琶湖の東西の幅は広いところでは20kmを超えるそうです。

テレビでブラジルのアマゾン川や、中国の長江、黄河などの風景をみて、「やっぱり大陸の河の風景は雄大だな」と思っていましたが、黄河の川幅も20km程度ですので、琵琶湖が河川なのだとしたら、日本の河も川幅で負けていないことになります。