今年も、司法試験の合格発表の季節となりました。
令和7年の司法試験は、法務省の発表によると4000人程度が出願して、実際に受験したのが3800人程度、合格者が1600人弱というところですので、令和6年度とあまり変化はないようです。
過去にもブログで紹介しましたが、司法試験に合格した後、すぐに弁護士や裁判官、検察官といった法曹として仕事ができるわけではなく、司法修習という教育期間が、さらに設けられています。
この司法修習という期間は、法曹関係者にとっては常識のような話ですが、法律関係の仕事をしている方以外には、あまりなじみのない制度なのではないかと思います。
司法修習という制度について、細かく記載されているのは、裁判所法という法律です。
裁判所法は日本の裁判所の制度について定めた法律であり、その第四編に「裁判所の職員及び司法修習生」という裁判所の内部に入って活動ができる立場の人について定めた編が設けられています。
考えてみると、裁判所というのは人の権利義務や、刑事事件であれば人の生死さえ左右する判断をする機関ですから、どういう資格を持った人が、裁判所という組織の中に入って活動できるのかを明確に定義しておくことは極めて重要なことです。
司法修習生については、裁判所法66条1項で「司法修習生は、司法試験に合格した者(司法試験法(昭和二十四年法律第百四十号)第四条第二項の規定により司法試験を受け、これに合格した者にあつては、その合格の発表の日の属する年の四月一日以降に法科大学院(学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)第九十九条第二項に規定する専門職大学院であつて、法曹に必要な学識及び能力を培うことを目的とするものをいう。)の課程を修了したものに限る。)の中から、最高裁判所がこれを命ずる。」とされています。
簡単にいうと、司法試験に合格したら、見習いとして裁判所が認めてくれるという仕組みです。
そして、見習いの期間は、裁判所法67条1項で「司法修習生は、少なくとも一年間修習をした後試験に合格したときは、司法修習生の修習を終える。」とされており、1年間の見習い期間となっています。
この1年間の間に、司法修習生は国に決められた各地方裁判所に司法修習生として赴くことになります。
先ほどお話した、受験者約3800人のうち、2000人以上が東京の受験生であり、さらに約900人は大阪での受験生です。
法科大学院等の教育期間がどうしても大都市圏、特に東京に集中しているため、当然の帰結ではあるのですが、司法試験を受験し合格する人の大部分は、東京か大阪という大都市圏に住んでいて、そこから、司法修習生として日本全国に散らばるように配置されていきます。
司法修習では、裁判所だけではなく、検察庁や弁護士事務所も含めて、いわゆる法曹三者を回る形で見習いをします。
また、すべての司法修習生がまとめて見習いで押し寄せると大変なので、司法修習生を班ごとにわけて、ローテーションさせながら修習をすすめます。
私の配属された班では、検察での見習いからスタートでしたが、振り返ってみると、検察での修習は一番、それまでの日常との乖離が大きく、刺激が強かったように思います。
例えば、実際に刑事事件の被疑者に来庁してもらって、調書をとるといったことも、検察修習でやります。
修習生は守秘義務がありますので、具体的な話の内容には、当然触れることができませんが、被疑者として呼び出しを受けた方からお話を伺って調書を作るなかで、それまで座学でだけ法律に触れていた身としては「こういう状況になったときに、こういうものの考え方をして、こういうリアクションをする人もいるのだな。」と文化の違いに驚くことも多く、世間の広さ、人間の多様性を実感する良い経験だったと思います。
あとは、刑務所見学の機会もあり、実際に、木工の作業をしているところを見学させてもらった記憶があります。見学の帰りに実際に制作された木工の貯金箱をお土産で購入した記憶があります。賽銭箱を模したつくりになっていて、鍵で挙げるのではなく、パズルのように木のパーツを動かさないと空けることができないカラクリになっている、面白い貯金箱でした。
調べてみると結構、刑務所での作業で作られた製品というのはあるようです。
そういうえば、令和7年には刑法の改正があり、昔ながらの懲役・禁錮という区別を改めて、「拘禁刑」に一本化されました。
懲役というのは、懲らしめるために労役させるという意味と思われますが、刑務所での作業従事が義務であり、禁錮の場合は作業は任意という区別がありましたが、これを拘禁刑に一本化し、個々の受刑者の特性に応じた対応をすることで、刑務作業も含めて矯正及び社会復帰をより効果的に行いたいという趣旨のようです。