カルネアデスの板―緊急避難

こんにちは,弁護士の田中浩登です。

 

みなさんは「カルネアデスの板」という言葉を聞いたことがありますか。

「カルネアデスの板」とは,古代ギリシアの哲学者カルネアデスが出したと言われる問題で,その内容はおおよそ以下のようなものです。

 

事例

「紀元前2世紀のギリシアの海で一隻の船が難破してしまい,乗組員全員が海へと投げ出された。乗組員の男の一人(X)が海でもがいていると一枚の舟板が流れてきた。Xは溺れ死にしないように必死になってその舟板につかまった。すると,同じように海でもがいていたもう一人の男(Y)が同じ舟板にすがろうとしてきた。舟板は一人がつかまって生き延びるには十分な大きさだが,二人がつかまると沈んでしまう。Xは,自分が生き延びるためにYを突き飛ばして溺死させてしまった。Xについて,殺人の罪を問うことはできるのか。」

 

あなたならこの問題にどう考えますか。

Xは自分の命を守るために仕方なくYを殺したのだから,殺人の罪に問うべきではないと考えますか。

自分の命を守るためであっても,Xの行動によってYの命が奪われてしまった以上,Xは殺人の罪に問われるべきと考えますか。

 

この「カルネアデスの板」の問題は,現代の日本の刑法37条1項の緊急避難の例としてよく引用されるものです。

刑法37条1項は次のように定めています。

 

「刑法37条1項 自己又は他人の生命,身体,自由又は財産に対する現在の危難を避けるため,やむを得ずにした行為は,これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り,罰しない。ただし,その程度を超えた行為は,情状により,その刑減軽し,又は免除することができる。」

 

つまり,「緊急避難」に該当する行為であった場合には,その行為を罰しないというのが日本の刑法となっています。

緊急避難に該当するための要件は大きく分けて

 

①「生命,身体,自由又は財産に対する現在の危難」があること

②「現在の危難を避けるため」の行為であること(「避難の意思」の要件)

③「やむを得ずにした行為」であること(「補充性」の要件)

④「生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合」であること(「害の均衡」の要件)

 

の4つとなります。

「カルネアデスの板」の事例にあてはめながら考えてみましょう。

 

①「生命,身体,自由又は財産に対する現在の危難」とは,個人の生命,身体,自由又は財産の侵害の危険が切迫している状態をいうところ,Xは海で溺れ死にしそうな状態であったのであるから,Xの生命に切迫している危険が迫っているといえそうです。

 

②「現在の危難を避けるため」の行為とは,その行為の目的が危難を避けるためのものであったこと,つまり「避難の意思」をもって行動をしたことが必要であるという考えが有力です。

今回の事例でXは,自分の生命に対する切迫した危険から避難するため,Yのことを突き飛ばしたといえそうですから,「避難の意思」はあったといえるでしょう。

 

③「やむを得ずにした行為」とは,行った避難行為以外に危難を避けるための,より侵害性の少ない手段がないことをいいます。

今回の事例では,XもYも舟板につかまろうと必死な状況であり,XがYを突き飛ばさなければYの方が舟板を確保するためにXを溺死させるような行動をとったかもしれません。

Xとしては,自分の命を守るため,Yを突き飛ばすほかなかった状況と考えられ,「やむを得ずにした行為」といえそうです。

 

④緊急避難においては,守られた利益が侵害された利益と同程度か,それよりも勝っていることが必要となります。

今回守られた利益はXの生命という利益であり,侵害された利益はYの生命という利益であるから,人の生命には優劣はつけられないという前提のもと,害の均衡は認められるでしょう。

 

そうすると,事例が現在の日本で刑事事件として扱われたのであれば,Xの行為は緊急避難となり,殺人の罪には問えない,ということになりそうです。

ただ,実際の裁判では緊急避難になるかどうかは慎重に判断されることになるのでご注意ください。

以上,「カルネアデスの板―緊急避難」でした。

ご挨拶

はじめまして。

弁護士の 田中浩登 と申します。

 

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