身近な詐欺の話

食べ物の好みに,そば派か,うどん派かという話があります。

関東は,そば派が多く,関西でが,うどん派が多いとききます。

名古屋は,ちょうど東西の中心にたっていますが,きしめんが人気であることを考えると,どちらかというと,うどんよりなのでしょうか。

そば,うどんといえば,先日,テレビで,「時そば」という演目の落語を見ました。

蕎麦屋でそばのお勘定を上手に誤魔化す人物と,

それを真似しようとして失敗する人物の対比をコミカルに描いた,落語の有名な演目の一つです。

そのお勘定の誤魔化し方は,十六文のそばの代金を支払う際に,

一文銭16枚を「1枚,2枚,3枚・・・8枚」と言いながら,

一枚ずつ手渡ししていく途中で,

「いま何時?」と店主にきき

「9つです」と返事があった後に,

「10枚,11枚・・・」と,9枚目の一文銭を渡さずに誤魔化してしまうというものです。

ちなみに,上方落語では同様のお話が「時うどん」として存在しているようです。

このようなところにも,そば派の関東,うどん派の関西という違いがあるのかと興味深く思います。

 

一文というと,現在の貨幣価値では,おそらく10円20円程度だと思われますので,

冷静に考えてみると,そこまでして誤魔化す方が大変だなと感じる金額ですが,

落語家さんの演じる,勘定をごまかす際の掛け合いが,実に軽妙で面白いところが,この落語の見どころです。

ちなみに,この落語を法律の側面から考えると,登場人物には詐欺罪が成立するものと考えられます。

勘定をごまかす意図をもって,八枚目まで一文銭を支払ったところで,

「いま何時だ?」と店主に質問して,「9つ」と答えさせることで,9枚目の一文銭が既に支払われたと錯誤に陥らせ,

1文の支払いを不法に免れたことになるからです。

実際の生活では,そもそも,こんな騙し方で騙されてくれる,お蕎麦屋さんはいないと思いますが,

これと少し似た話で,私たちの日常生活で身近に詐欺罪が成立するケースとして,釣銭詐欺というものもあります。

たとえば,1000円の品を買う時に5000円札を店員に渡したところ,

店員が5000円札を1万円札だと勘違いして「1万円入ります。お返しは,9000円になります。」といって,

1千円札9枚を渡してきた場合を想像してみてください。

1000円の品を受け取った上に,5000円が9000円に増えて帰ってくるのであれば,大儲けです。

そこで,「店員さん,勘違いしているな・・・」と思いつつお釣り9000円を受け取ってしまう場合には,

詐欺が成立すると考えられています。

店員さんが勝手に間違えたのだから,受け取った人は悪くないという見方もありそうですが,

店員さんの勘違いをしている状態を利用して,そのままお釣りを受け取る行為には,不作為による詐欺が成立するとされています。

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新人弁護士

最近では,中途採用なども増えてきてはいますが,

一般的には,多くの会社では,大学を卒業したばかりの新人が4月にたくさん入社する採用の仕組みになっていることが多いのではないでしょうか。

これは,大学新卒を中心にした採用活動と,大学の卒業時期が3月に集中していることによるものと考えられます。

もっとも,弁護士の業界では,大学を卒業したあと,司法試験に合格し,さらに「修習」と呼ばれる研修期間を経なければ弁護士登録はできませんので,新人弁護士が新たに法律事務所で働き始めるタイミングは,その他の業種の企業とは異なります。

弁護士登録をするためには,司法試験に合格するだけでなく,修習期間を経て,最後に,修習の締めくくりとして「2回試験」と呼ばれる試験に合格しなければなりません。

その2回試験は,毎年11月下旬に試験が行われ,12月の中旬から下旬にかけて合否の発表がなされます。

そのため,毎年12月から翌1月が多くの新人弁護士が新たに弁護士として法律事務所で働き始めるタイミングとなっています。

今年も,やる気に満ち溢れた新人弁護士が数多く入所してくれました。

私も,彼らから刺激を受けながら,初心にかえって研鑽していきたいと思っております。

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子供の名前と戸籍

このブログを読んでくださっている方,一人ひとりに,お名前があるかと思います。

個人の名前というのは,日常生活のなかで身近でありふれた存在ですが,弁護士の仕事をしていると,名前についても,法的な観点から調べなければならないことが多々あります。

名前について,法的な話をいたしますと,

個人の名前は,戸籍法という法律に基づいて,父母,本籍地,生年月日等の情報と結び付けて,戸籍に記録されています。

戸籍法では,子供が生まれた場合,出生の日から14日以内に出生届をすることと定められており(戸籍法49条1項),その際に届け出をしなければならない事項として,父母の氏名や本籍地などを届出るように定められています(戸籍法49条2項)。

このように,戸籍制度が確立した現代では,個人の名前は,戸籍に記載されている本籍地等の情報とつながって公的に記録され,重要な本人確認の資料となるため,簡単に自分の名前が気に入らないからという理由で,名前を変えることはできません。

名前を変えようと思った場合には,名前を変えることに正当な理由がある場合で,家庭裁判所の許可を得たうえで届け出をする必要があります(戸籍法107条の2)。

このように現代では,個人の名前が出生とともに戸籍に記録され,その後は,よほど大きな事情がなければ一生同じ名前を名乗り続けることが一般的です。

しかし,歴史を振り返ってみれば,必ずしもこのような制度が一般的であったわけではなく,たとえば古代から近世にかけては,一生の間に名前を何度か変えるのが普通であった時代もあります。

たとえば,足利高氏が後醍醐天皇から「尊氏」の名を名づけられて名乗るようになった例のように,身分の高い人に縁のある一文字をもらって名前にするような例もありましたし,

通常は,幼名と成人した後では名前が変わるのが普通でした。

足利尊氏の例でいえば,幼名は又太郎で,成人して足利高氏,さらに足利尊氏と名前が変わっていったことになります。

名古屋は三英傑のうち豊臣秀吉,織田信長を輩出した土地ですが,織田信長にも吉法師という幼名が伝えられています。

豊臣秀吉については,出自の問題で,正確な幼名が伝えられているわけではないようですが,物語などでは日吉丸として登場することがよくあります。

幼名という制度も調べてみると面白いもので,戦国時代の大名の幼名では「~法師」「~丸」「~千代」といった,いかにも時代劇にでてきそうな名前が多いようですが,さらに時代をさかのぼると,紀貫之の幼名のように現代人の感覚ではなぜそのような幼名を?と思ってしまうような名前がつけられているケースもございます(興味のある方は,紀貫之の幼名をインターネットで検索してみてください)。

 

 

衆議院選と憲法改正論議

先日,台風のなか第48回衆議院選挙が行われました。

今回の選挙に関するニュースを見ていると,

「改憲勢力が議席の3分の2以上」ということを,大きく取り上げているのを見かけます。

憲法改正の是非については,極めて政治的話題ですので,

このブログで取り扱うのは適切ではないと思いますが,

今回のブログでは,

この「議席の3分の2以上」という数字がもつ意味についてお伝えできればと思います。

 

憲法96条では,「この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」と定められています。

憲法は,国の最高法規だから憲法を変更しようと思った場合,衆議院と参議院の3分の2以上が賛成していないと,そもそも憲法を変えましょうという提案すらできないということです。

そして,いま,国会で改憲勢力と呼ばれる政党が3分の2以上を占めているということは,

「憲法を変えましょう。」という提案を,国会で改憲勢力と呼ばれる政党が行うことが出来るということを意味しています。

ただし,憲法96条に明記されているように,憲法の改正は,国会議員だけで議論して決定できるものではありません。

国会が,憲法を変えましょうと発議をした後には,国民投票によって,過半数が賛成しなければなりません。

国会議員が国会で憲法を変えましょうと発議をしても,その内容が,国民投票で賛成を得られなければ,憲法が変更されるには至らないことになります。

このように,憲法96条では

「憲法の改正に賛成するのか反対するのか?」という問題は,

国会議員だけにまかせておいてはいけない問題であり,

国民の一人一人が自分で考えて判断して,投票しなければならない問題であるとされているのです。

 

今回の選挙では,改憲勢力と呼ばれる政党の議席数が,選挙前よりも増加しました。

もしかすると,いよいよ憲法改正の発議が国会でなされる日が近付いているのかもしれません。

 

その時,自分は憲法の改正に賛成するのか,反対するのか,いまからしっかり考えておくべきなのかもしれません。

科挙

弁護士になるには,司法試験に合格をしなければいけないという事実は,広く知られていることだと思います。

新司法試験制度の導入などの司法制度改革のなかで,近年,司法試験の合格率はかなり上昇していますが,

一昔前は,合格率が数パーセントという,極めて合格することが難しい試験でした。

その当時の,司法試験を例える表現として「現代の科挙」という言葉があります。

ところで,この「科挙」というのは,どのようなものかご存じでしょうか。

科挙というのは,簡単にいうと,大昔の中国の公務員試験です。

科挙は,紀元600年頃に中国にあった王朝である隋という国で誕生した制度で,受験資格に制限はなく,だれでも受験できる試験で,国の官僚や役人になるための資格試験でした。

この科挙という制度は,隋という国が滅びたあとも,中国では近代にいたるまで採用されつづけた制度でした。

試験で公務員を選ぶというのは,現代の感覚からすれば「あたりまえじゃないか?」と思われるかもしれませんが,当時は,貴族が世襲で政府の要職を独占して,政治を牛耳るのが普通の社会でしたから,身分にかかわらず,試験に合格さえすれば官僚になれるという制度は,非常に画期的で平等な制度だったと評価できると思います。

科挙は,このように身分にかかわらず受験することができたため,極めて競争率の高い試験で,人類史上もっとも合格することが困難な試験ではないかといわれています。

試験に合格したときには,70代のおじいさんになっていた。試験に合格しなくて発狂して自殺した。そういうエピソードもたくさんあるそうです。

そのような事情から,「科挙」というのは,難関試験の代名詞のように使われる言葉となりました。

 

 

一番になれなかったもの

昨今,弁護士の業界も競争が激しくなり,

マーケティングなどのセオリーを踏まえた事務所経営の必要性が増しています。

弁護士法人心でも,社内でマーケティングの理論について話を聞く機会がふえてまいりました。

 

そのマーケティングに関する話のなかで,私が,最近なるほどなと思ったのが,「一番と二番の差は,二番と百番よりも広い」という話です。

たとえば日本で一番高い山といわれれば,「富士山」と誰もが答えられますが,二番目に高い山を知っている人は,ごく少数です。

このように,何かの分野において一番であることは,二番との間に圧倒的な知名度の差をつけることができることとなります。

 

このような,マーケティングの話を聴いていると,

「なるほどなあ」と関心する一方で,

私のような,偏屈な性格の人間は「いろんなランキングの二番は,どうなっているのだろうか?」ということに,好奇心が向いてしまいます。

そこで,今日は,私が調べた,いろんなものの二番を紹介してみたいと思います。

 

まず,日本で二番目に高い山は,山梨県にある北岳という山だそうです。

ちなみに,世界で二番目に高い山は,パキスタン・インド・中国にまたがるK2という山だそうです。

 

動物界最速の生き物は,チーターが良く紹介されます。

チーターは,動物ながら最高速度100kmを超える速度で走ることができるそうです。

では,二番目に足の速い動物はというと,プロングホーンという鹿に似た動物です。

チーターとプロングホーンは,現在では,住んでいる地域が異なりますので,自然界で最速対決をみることはできないようです。

 

世界一のお金持ちというと,マイクロソフト社のビルゲイツ氏が有名ですが,世界で二番目のお金持ちというのは,あまり話題になりません。

調べてみると,スペインのアマンシオ・オルテガ氏だそうです。この方は,ZARAの創業者だそうです。

 

ちなみに,いろいろ調べているうちに,自分の誤解に気付くことができたこともありました。

 

たとえば,世界で一番古い法典は,てっきりバビロニアのハンムラビ法典だとばかり思い込んでいたのですが,

実際には,ハンムラビ法典に先行して,ウル・ナンム法典という法典が存在していたそうです。

また,世界で一番長い首都名は,スリランカのスリジャヤワルダナプラコッテだとばかり思い込んでいました。

小学校の頃,よくこの地名を早口言葉のように唱えて遊んでいた記憶があります。

当時は,世界で一番長い首都名と教えられていたのですが,調べてみると,実は正式名称ではタイのバンコクの首都名が,世界で一番長い首都名になるそうです。

バンコクの正式名称は,このブログに書き写すのも諦めたくなるほどの長さでしたので,

興味のある方は,一度,「バンコク 正式名称」で検索してみてください。

名字

弁護士の仕事をしていると,相談者,依頼者,事件の相手方など,本当にたくさんの方々の名前を目にします。

時には,読み方に悩むような珍しい名字の方に出会うこともあります。

 

最近では,インターネット上で,名字が全国で何番目くらい多くある名字なのかを検索できるサイトがございます。

検索すると,特にどの都道府県にその名字が多いかが分かることもありますので,私も,時々,利用したりしています。

 

ちなみに,私の名字である「有田」は全国で3万2700人ほど,全国順位で 615位の名字だそうです。

「有田」の反対で「無田」という名字はあるのだろうかと思い,これも検索してみたところ,

全国で230人ほど,全国順位で 19874位で「無田」という名字の方もいらっしゃるそうです。

 

 

花火についてさらに調べてみました

前回,花火の法規制についてブログで紹介させていただきました。

ところで,子どもの頃,友達とあつまって学校の校庭や近所の公園などで,花火をして遊んだことがある人は多いと思います。

この時期,ドンキホーテなどで買い物をしていると,花火コーナーで花火が販売されているのも,よく見かけます。

このような,前回,花火は「火薬庫」で貯蔵しなければならなず,貯蔵方法も一定の技術水準をみたしていないといけないと火薬取締法に規定されていることを紹介しましたが,

子供の頃遊んだ花火を,法律で定められた技術水準を満たすような場所で保管していた記憶はありません。

これは,法律違反だったのでしょうか。

実は,火薬取締法では,花火を「煙火」と「がん具煙火」とに区別して定めています。

いわゆる,ドンキホーテの花火コーナーで販売されているような花火は,打ち上げ花火に比べて,小さくて危険性の低い花火です。

このような花火は,火薬取締法では「がん具煙火」として,より緩やかな規制が行われることとなります。

「がん具煙火」については,一定の数量を下回る場合には,貯蔵方法についても規制の適用除外が認められています(火薬取締法51条3項)。

花火

先日の夜,窓の外を見ていると,遠くで花火が打ち上げられているのが見えました。

夏の夜空を彩る花火というものは,何んとも綺麗で,見ていて楽しい気持ちになるものです。

ただ,花火をみても「きれいだなぁ。」という感想だけで終われないのが,弁護士の性分です。

花火について,気になることをいろいろと調べてみました。

たとえば,花火は火薬で打ち上げて爆発させていることは,なんとなく知ってはいましたが,

あの色鮮やかな色は,どうやって出しているのかでしょうか。

火薬自体が,燃焼の際に,色を帯びるのでしょうか。

あるいは,燃焼の際に発色のする物質を火薬と一緒に爆発させることで,色を出しているのでしょうか。

調べてみると,花火は,ストロンチウム,銅,アルミニウムなどの金属を燃焼させることで,色を出しているそうです。

金属によって,燃焼時の色が異なるため,うまく配合することで,あのような複雑な配色の花火を作ることもできるそうです。

それにしても,火薬に加えて,このような,金属を空中で燃焼させるわけですから,素人が勝手気ままに花火をつくって打ち上げては危険です。

そこで,花火の法規制についても調べてみました。

花火は,火薬取締法上で「煙火」と規定され,同法の規制を受けています。

たとえば,素人が花火を勝手に作ることは法律上認められておらず,花火の製造には許可(火薬取締法3条)を受ける必要がありますし,その許可を受けるには,製造方法や製造施設が一定の技術上の基準に適合していなければなりません。

また,花火を含む「火薬類(火薬取締法2条1項で定義されています)」は,原則として「火薬庫」に保管しなければならないと定められており,この「火薬庫」も法律で一定の技術上の水準を満たさなければならないと定められています(火薬取締法11条)。

このように,花火は,製造や保管について詳細な法律上の規制を受けながら,夜空に打ち上げられているのです。

国籍法について

先日,民進党の蓮舫代表が二重国籍問題で戸籍の公開をしました。

ニュースなどでは,賛否両論がだされているようですが,

ここでは,時事問題から一歩離れて,

そもそも日本における国籍取得がどのような仕組みでなされているかについて,紹介させていただきたいと思います。

まず,日本には「国籍法」という法律が定められており,その第一条には,「日本国民たる要件は,この法律の定めによるところによる。」と定められています。

つまり,だれが日本人で,だれが日本人じゃないかは,この法律で決めますよということです。

そして,国籍法第2条には出生によって日本国籍が取得できる場合が定められており,大半の日本人は,この規定によって日本国籍を取得していることになります。

具体的に国籍法第2条により日本国籍取得が認められる場合は以下のとおりです。

①出生の時に父又は母が日本国民であるとき。

②出生前に死亡した父が死亡の時に日本国民であったとき。

③日本で生まれた場合において,父母がともに知れないとき,又は国籍を有しないとき。

このように③の場合のような例外的なケースはあるにせよ,国籍法第2条では,「日本人の子供」であるか否かを重視して,日本国籍の取得するか否かを判断しています。

もちろん,父母ともに日本人でない外国籍の人でも,帰化(国籍法3条)の手続きをとれば,日本国籍を取得できますが,日本人の子供に生まれて日本国籍を取得する場合に比べれば,国籍取得について高いハードルが科されることとなります。

このように,「日本人かどうかは,日本人の血筋を受け継いでいるかを重視して決めていく。」という立場を,法律の世界では血統主義と呼んだりします。

日本以外にも,韓国や中国など,東アジアの多くの国々は,この血統主義に基づいた国籍取得の法律を定めています。

他方で,世界には,出生地主義という「その国の中で生まれた人には,その国の国籍を認める。」という方法を選択している国もあります。

代表的な国では,アメリカ合衆国などが出生地主義を採用している国です。

そうすると,「日本人と韓国人の夫婦が,アメリカ合衆国で暮らしていて,子どもが生まれた。」というような場合には,その子どもは,日本人の血筋を継いでいるという理由で日本国籍を取得し,韓国人の血筋を継いでいるという理由で韓国籍を取得し,さらにアメリカ合衆国内で生まれたという理由でアメリカ国籍も取得できることになります。

このように,諸外国の国籍に関する法律の関係上,子どもが複数の国の国籍を取得することがありえるのです。

ただし,いつまでも複数の国籍を持ったままでいられるかというと,そういうわけではありません。

少なくとも,日本では国籍法14条が定められており,日本国籍を持っていて,さらに外国の国籍を持っている人は,一定の年齢までに,外国籍を放棄して日本国籍を選ぶのか,日本国籍を放棄して外国籍を選ぶのかを選択しないといけない仕組みになっています。

今年も半分が経過

早いもので,2017年も,もう7月になり,半分が経過しました。

つい先日,初詣に行ったばかりのように思っていたら,あと一月半ほどでお盆を迎えます。

年齢のせいもあるのかもしれませんが,1年が随分早くなってきたように思います。

1月に,今年中に,弁護士としての仕事の中で達成したい目標,仕事以外の勉強などで達成したい目標など,

いくつか考えて目標を立てたのですが,まだ,そのうちの半分も達成できていない現状です。

2017年も,折り返し地点を迎えた今,改めて気持ちを引き締めなおして,日々精進していきたいと思います。

千葉の県名

弁護士法人心が柏駅に柏駅法律事務所を設立し,千葉県にも出店したことをきっかけに,

千葉県についていろいろと調べてみました。

千葉県という県名の由来・成り立ちについてみると,

廃藩置県が行われた明治時代の初めの頃には「千葉県」という呼称で決定されていたようです。

行政区画としての「千葉県」の成り立ちが,明治時代にまで遡るとして,

「千葉」という地名の由来は,いつ頃まで遡るのでしょうか。

江戸時代には,現在の千葉県に匹敵するような大きな行政区画ではなく,船戸藩や勝浦藩など,大小さまざまな藩に分かれていたようです。

奈良・平安の律令国家の頃まで遡ると,現在の千葉県周辺は,上総国・下総国等の国名が現在の千葉県に重なります。

この下総国の中には,千葉郡という行政単位があり,古代には既に「千葉」という地名は成立していたようです。

鎌倉時代の有名な御家人の一つである千葉氏なども,下総国の千葉郡を本拠としたことから「千葉」の名を冠することとなったと聞きますので,千葉という地名は,相当古くから続いているようです。

現存する文書類のなかで,最も古く千葉という地名が登場するのは,万葉集の中に掲載されている,

「知波乃奴乃 古乃弖加之波能 保々麻例等 阿夜尓加奈之美 於枳弖他加枳奴(千葉の野の 児手柏の ほほまれど あやに愛しみ 置きて誰が来ぬ)」という防人の歌だそうです。

 

日本で一番短い法律

弁護士は日々法律を使って仕事をしていますが,ふと気になったのが,日本で一番短い法律はなんだろうかということです。

全ての法律を調べたわけではないですが,一番短い法律は失火責任法という法律だそうです。

憲法記念日

5月3日は憲法記念日です。

弁護士の仕事をするうえで,憲法の条文をそのまま使って相手方に請求をしたりすることは,あまり多くありませんが,

日本の法律の根本にある重要な法律が憲法です。

日本には,民法,民事訴訟法,民事執行法など数えきれないほど多くの法律がありますが,すべての法律は,憲法に抵触しないように定められ運用されなければなりません。

ちなみに,現在,ニュースなどでも憲法の条文を改正しようという話を良く耳にします。

日本では,日本国憲法として,条文に書かれた憲法という法律が存在しています。

このような国を,成文憲法の国といいます。

 

 

 

なぜ,「独居老人」といい「孤居老人」とはいわないのか,

「孤独」という言葉があります。

特に,近頃では独居老人の生活についてニュースなどでも取り上げられることがふえたように思います。

ところで,「独居老人」という表現を目にすることはありますが,「孤居老人」という表現を目にすることはありません。

「孤独」という熟語が存在していることを考えると,どちらの表現もあってよさそうなものですが,「独居老人」という表現以外には違和感があります。

また,親のいない子供について「孤児」という表現もあります。

「孤児」という言葉は日常用語でも使いますが,法律用語でもあります。

弁護士は,仕事のなかで児童福祉法などにふれることもありますが,同法には「孤児」という表現が明記されています。

しかし,両親がいなくて孤独な状態の子供を「独児」と表現することはありません。

「孤独」とひとつの熟語になって使われることもある言葉であるのに,「独」という漢字は専ら老人に,「孤」という漢字は専ら子供に結び付けて,使われています。

このことについて,先日,興味深い古典の一節を知りました。

古代中国の諸子百家の古典の一つに『孟子』という書物があります。

その一節に「老而無妻曰鰥、老而無夫曰寡、老而無子曰獨、幼而無父曰孤、此四者天下之窮民而無告者」という文章があるそうです。

翻訳文等を読んでいると,この一節の意味は,おおむね「年老いて妻のいない人のことを「鰥」といいます。年老いて夫のいない人のことを「寡」といいます。年老いて子供のいない人のことを「獨(独)」といいます。幼い子供なのに,父親のいない子のことを「孤」といいます。この「鰥寡独孤」という人たちこそが,この社会で困窮している人たちです。」というような意味だそうです。

この一節を読むと,現代の日本語の「独居老人」「孤児」といった表現と,見事に一致しています。

また,国民年金法には「寡婦年金」といって,夫に先立たれた妻のための給付が定められていますが,ここでも「寡婦」ということばは「老而無夫曰寡」という孟子の一節と整合しています。

おそらく「独居老人」「孤児」「寡婦」といった現代の日本語を考え出した人は,相当に漢文の素養の深い方々で,中国の古典からづつく漢文の言葉の用法を熟知したうえで,老人については「独」,子どもについては「孤」,婦人については「寡」という表現を当てはめていたものと思われます。

自分が,普段何気なくつかっている日常用語や法律用語にも,実は,遠い中国の古典にまで遡ることのできるルーツがあるのだなと思い,興味深く思いました。

高齢化社会

私は,昔から趣味で落語のテープを聴いたりしていたのですが,

笑福亭鶴光さんの落語の枕には,よく「ほんまに,高齢化社会でんなあ」というセリフが登場します。

近頃,法律相談などで相談者の話を聞いていると,しみじみと「ほんまに,高齢化社会でんなあ」と実感することが多いです。

たとえば,交通事故等の案件でも,認知症の高齢者の方が加害者や被害者になるケースを多く見るようになった気がします。

少し前には,認知症の男性が線路に入って電車にひかれた事故で,遺族の方が監督義務者として電車の会社から損害賠償請求を受けた裁判がニュースで話題になりました。

そのほかにも,老齢の父母がセールスマンに騙されて不必要に高額な商品を購入することが続いていて困っているというような相談などもよくあります。

こういった高齢者を巡る法的トラブルについては,今後,弁護士も一層力を入れて取り組んでいくことになるだろうと思います。

ローマ法と現代民法

古代ローマというと,紀元前後にイタリアを中心に地中海沿岸に栄えた,歴史上の大帝国であり,

地理的にも歴史的にも,現代日本とは大きな隔たりのある存在です。

何年か前に,「テルマエ・ロマエ」といった古代ローマを舞台にした漫画や映画が流行したことがありましたが,そういった文芸の話を抜きにすると,ほとんど縁のない世界の話に思えます。

しかしながら,法制度という観点からみると,古代ローマと現代日本の民法は,意外に深いつながりがあります。

たとえば,法学部生が民法を学び始めた最初の頃にであう「契約締結上の過失」といった議論でも,

法学部では「culpa in contrahendo」などという厳めしい用語とともに,ローマ法まで遡って講義をうけます。

これは,現代民法の制定に際して,ローマ法が直接参考にされたからではありません。

現代民法は,フランスの法学者であるボアソナードの協力を得て,明治時代にフランス民法典等のヨーロッパ諸国の法令に,日本の慣習等も考慮して制定されたものです。なお,フランス民法典は,別名,ナポレオン法典とも呼ばれることがありますが,これは,フランス革命の話で登場する有名なナポレオンの関与のもとにフランス民法典が制定されたことによります。

そして,そのフランス民法典(ナポレオン法典)の制定に際しては,ヨーロッパ各地の慣習法だけでなく,古代ローマのローマ法も大いに参照されたようです。

明治以降の日本は,欧米の法制度を積極的に輸入しアレンジすることで,国家・社会の基礎を築いてきましたが,その欧米の法制度は,さらにさかのぼると,中世のヨーロッパ各地の慣習法や,古代ローマの法制度,さらには,その背景にある古代ローマやギリシャの人間観などにもつながっていくものであり,歴史や文化の思いもよらないつながりに,面白みを覚えます。

令状なしGPS捜査について

先日,最高裁判所が,令状なしで捜査対象者の車両にGPSを取り付ける捜査手法について,違法との判断を行いました。

弁護士としては,興味深い判決です。

法律家以外の方には,あまり興味がもたれない判決かもしれません。

また,犯罪に関わっている人を捜査するのに,どうして,GPSを使って捜査することが認められないんだと不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれません。

ここで注意が必要なことは,最高裁が,GPSを捜査に利用すること自体を問題にしているわけではなく,

「令状なし」で,そのような捜査をすることが違法だといっていることです。

簡単にいってしまうと,

最高裁は「GPSを使って警察の方が捜査すること自体はダメじゃないけれども,

GPSを勝手に車両などに取り付けて捜査することが,どんな場合に許されて,どんな場合に許されないのかは,

国会議員のみなさんで話し合ってルールを決めたうえで,裁判所がそのルールにしたがって個別にチェックしますよ。

それまでは,警察の方が勝手に自分の判断でやってはいけませんよ。」と言っているのです。

「犯罪者を取り締まるのに,なにを悠長なことをいっているだ。」という批判もあるかもしれませんが,

このような最高裁の考え方を説明するのに,分かりやすい言葉が「実体的正義」と「手続的正義」という考え方です。

犯罪者を捕まえること,そのために捜査をすることは正義にかなったことです。

このように,実現しようとされている結果自体が正義にかなったものであることを「実体的正義」といいます。

しかし,いくら実体的正義にかなった結果(たとえば,犯罪者を捕まえたり,処罰したりすること。)を実現するためだとしても,

手段を選ばすに警察が捜査する社会(たとえば,警察が一般の方の家庭に盗聴器を仕掛けて回ったり,車に片っ端からGPSを取り付けて監視したりする社会)は,怖くて住みづらいものです。

そこで,いくら実体的正義(犯罪者を捕まえたり処罰したりすること)を実現するためだとしても,捜査をしたり処罰をしたりすることは,一定のルールに従ってやり過ぎないようにやって欲しいという考え方がでてきます。

このように,実体的正義を実現するための手続・手段・過程・プロセスについても,一定のルールに従って適切に行われるべきだという考えが「手続的正義」という考え方です。

簡単にいってしまうと,「結果がよければ,やり方は何でも良い」というのではなく,「結果もやり方も,両方とも正しくやってください」ということです。

特に,警察などの国家権力による捜査は,万が一にも,権力が濫用された場合には,市民の生活に悲惨な結果を引き起こすこととなりますので,

日本の法制度では,警察の捜査が行き過ぎたものにならないように,裁判所が見守る仕組みが整備されています。

それが,警察の行う捜査のうち,捜査対象者の意思を無視して強制的に行われる捜査などについては,あらかじめ裁判所のチェックを受けて「令状」によるお墨付きを得なければならないという仕組みであり,先ほど述べた「手続的正義」を制度化したものです。

今回の最高裁の判断は,「実体的正義」という観点から,犯罪者の車両等にGPSを取り付けて捜査することを否定するものではないけれども,「手続的正義」という観点から,警察の方が「令状なし」にGPSを利用した捜査を行うことは認められないという判断をしたものと言えるかと思います。

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バレンタインの贈答

2月14日はバレンタインデーということもあり,いつもはピリピリと緊張した空気で仕事をする弁護士事務所の中も,

心なしか空気が緩んで感じられます。

今年も女性従業員から,男性従業員一同へのチョコレートを贈っていただきました。

こういう,イベントは忙しい仕事のなかで,良い気分転換になります。

例年,ホワイトデーには,男性従業員一同から女性従業員への返礼も行われます。

チョコレート食べるだけなら,自分で買えばいいのですが,こういうイベントで贈答されるのには,また格別のありがたみがあります。

贈答といえば,弁護士の仕事をしていると,お客様から,お菓子等をいただくこともございます。

通常の民事事件のお客様からであれば,ありがたく頂戴させていただいているのですが,

国選弁護事件の依頼者及びそのご家族から,そのようなお話をいただいたときには,丁重にお断りさせていただいております。

これは,弁護士のルール上,国選弁護人が,名目を問わず,被告人その他の関係者から報酬その他の対価を受領することが禁止されているからです(弁護士職務基本規定第49条)。